堀江貴文さんの「手取り14万?お前が終わってんだよ」という発言について

本屋に行く、話題書コーナーには堀江貴文さんの顔が全面に押し出された書籍。次の時代はこうなる、こうしたことは無駄だ、こうすれば時代を生き残れる、そうした内容の本がずらりと並ぶ。まるで時代を生き抜く指南書だ。若い人たち堀江貴文さんの言葉を生きる指針としているのだろうか。そういった話は自分の近くでは聞かないが、こうしてたくさんの本が出版されているということは多くの人が堀江貴文さんの言葉を信用、信頼している証拠なのかもしれない。

個人的なことだが私は堀江貴文さんがきらいだ。堀江貴文さんの言葉や思想を信用できない、信頼していないと言った方が正確かもしれない。

あまりの嫌悪感でそのことについて当時文章をおこす気分になれなかった出来事があった。昨年10月ごろガールズちゃんねるで『12年勤務し役職にもついているが手取りはわずか14万円。日本終わってますよね』というトピックが立ちそれがネット記事として取り上げられた。それに対し堀江さんはツイッターで『日本がおわってんじゃなくて「お前」がおわってんだよwww』とコメント。この発言が炎上し、その後自身のYoutubeチャンネルで発言の真意とやらについて「丁寧に」解説していた。

それによると

>>ツイッターは簡潔に書くのが面白いメディア。簡潔に返事を返すことにより注目をさせてちゃんと意図を読み取れる人だけが実際に理解する。

ということらしい。西野亮廣さんや中田敦彦さんもよく同じようなことを言う。「議論のきっかけを作ってやった」「不愉快なことや間違った情報を言ったかもしれないがそこから先を皆に考えてもらうことが目的だった」この手の言い分の傲慢さ、極端に利己的な思考、それらをオブラートに包み正当性を主張しようという欺瞞。こういった手法は卑怯である。社会的な問題に対して人々が議論すること、また個々に思索することはもちろん重要だがその発端が「不愉快な発言」「ある状況におかれている人に対する攻撃的な言葉」である必然性はどこにもない。発端、きっかけをどう作るかはその人のセンスにかかっており結局こういった人たちは「不愉快で攻撃的な言葉」を嗜虐的に選択しているのだ。

また動画の続きでは

>>現代では情報が民主化されている。大抵の人が多くの情報にアクセスできるようになった。情報を得て稼ぎ方を最適化できる時代になっている。たとえばオンラインで無料の教材を閲覧し動画編集のスキルを身に着け、クラウドワークスなどで仕事を請け負う。そうすれば月14万なんてすぐ稼げる。年収を上げられる可能性はいくらでもある。それなのによく分からない会社で搾取され続けているお前が悪い。こういったことを理解せずに僕の発言に対し「お前が終わってる」とか批判してる奴はやっぱり終わってる。

と語る。この話は価値基準を金が儲かるかどうか、その一点のみにおいて語っていて非常に極端かつ視野が狭い。そしてそれを堀江さんはあえてやっている。つまり「金が儲かるかどうか」オンリーの範囲でならば絶対に正当性を主張できる、いわゆる論破できることを計算したうえでYoutubeでの発信を行っている。細部をそぎ落とし、範囲をしぼって発言することで己の優位性を保持している、そのことに気が付かない人や論理的にものごとを考えることが苦手な人は簡単に「堀江さんが正しい」と騙されてしまう。

『12年勤務し役職にもついているが手取り14万円』問題の本質は個人が儲かる儲からない、個人の金を稼ぐ能力の有無、というところにはない。個人の能力がどうであれ、かつて支払われていたはずの生活に困らない程度のお金でさえ払えなくなってしまった社会構造にある。国全体が貧しくなってきてしまっている現状。「社会の変化や時代についていけてないから儲からない」のではない。まったく逆で社会がまさに「金が儲かるかどうか」という方向に最適化、先鋭化してきた結果、個人にお金が回らなくなってしまったのだ。堀江さんが語ったことは原因に目を向けず結果だけを取り出し、その上で貧しくなってしまった個人を責めるというやり口だ。

「金にならないものは悪」「最適化された稼ぎ方に適応できない人は悪」という思想に基づいて突き進んできたからこそ日本では極端に少子化が進み、所得格差は広がり続けた。子どもは金を生み出さないし、大人になるまでに養育費がかかるがだからといって将来的に金をガッツリ稼ぐ大人になるという保証もない。しかしあたりまえだが本来そんな打算などなく子どもたちがたくさんいることが健全な状態だ。子どもは将来性がどうかに関わらずただそこにいるべき存在なのだ。仕事についても同じで「金にならない仕事はやる意味がない」としてしまうとアートや文学、音楽の分野などは「売れるもの、売れたもの」しか残らず裾野が広がらない。たとえば日本の漫画文化のレベルが高いのは裾野がものすごい広さをもっているためだ。同人誌やSNSで稼ぎを度外視にして大量の作品が作り続けられている。そこから質の高いものが生まれる。

科学研究分野で起きている問題は、すぐに役に立ちそうな(=すぐに金になりそうな)研究しか注目されないことが原因だ。2016年にノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典教授は「役に立つという言葉が社会をダメにしていると思っている。科学で役に立つということが、数年後に企業化できることと同義語のようにあつかわれるのは問題。本当に役に立つとわかるのは10年後かもしれないし100年後かもしれない」と語っている。即物的に役に立つ、すぐ金になることに囚われては未来を見越した仕事はできないということだ。

私の知り合いに保育士の仕事をしている人がいる。20年ほど働いているが給料はいいとは言えないらしい。それについて愚痴をこぼしていたこともあった。だからといってその人は仕事を投げ出すことはしていない。今回のコロナ禍の中でも仕事をもつ親のため、そして子どもたちのために感染リスクと戦いながら仕事を続けている。堀江さんがあえてそぎ落とした細部の話だ。金にならなくても確かに誰かに必要とされ、また本人もそれをやり遂げたいという仕事もある。

堀江さんは「自分こそが時代を先取りした発信をしている」ような態度を取るが、実はまったく旧態依然な発信しかできていない。先の動画での発言は取り様によっては時代をうまく乗り切るコツについて語っているようにも聞こえるが結局「金にならないことをしてるなんてくだらない、最適化して生きろ」というのが主なメッセージだ。それは必ずしも世の中を良い方向へ向かわせるものではない。それをおおいに実現してきた結果が今の社会だからだ。そしてやはり言葉選びが乱暴で粗雑である。誰かを傷つけたり、追い詰める結果を想像していない。あるいはわかっていながら目を向けないようにしている。それでも世間から注目され、堀江さんの言う「生き方の最適化」に繋がれば彼個人はオーケーなのだ。

以上のようなことを考えた上で堀江さんの発言、発信をどうとらえるかは個々の自由だ。少なくとも私は、堀江貴文さんの発信を信用していない。そして誰も他の誰かの人生を「終わっている」などと断言するような権利はもっていない。