無為に
おれはシンプルに生きることに向いてない。生きる才能がないんだ。
たとえば大谷翔平選手には突出した野球の才能がある。人間の肉体のピークが15年、それではまるで足りないくらいに。もし人間の肉体のピークが50年、100年とあればその分だけ余すことなく多くの人を感動させるプレーができるだろう。投手としても打者としても最高峰。圧倒的な生きる才能に満ち満ちている。この世に完全にフィットしている、ほんとうに素晴らしい。
これだけ生きる才能がある人物がいるということはその逆もやはり存在するということだ。まったくもってこの世にフィットできない。どれだけ時間をかけても世界になじめない、他者にプラスの要素を与えることがない。意味をもたない人間。
この世界の、現代社会の価値観において重要とされているあらゆるものに関心がわかない。いわゆる普通の人が重要視しているものが重要と思えない。それがただの天邪鬼だ、阿呆のつよがりや言い訳だとする意見に反論する気もないが、ともかくそれが是とされているあらゆる価値基準において、そこに合わせて自分を証明したいという気持ちがまったくないのだ。
社会的地位、肩書き、金を集める稼ぐ、他者からの尊敬を集める、フォロワーや信奉者を増やす、自己実現、安定した老後、子を育て残す、仕事に楽しみを見出す、恋愛とか結婚、趣味に没頭する、社会の不条理に抗議する、誰かを救う、承認欲求を満たす、お得な生き方を模索する、神仏に感謝する、性的に満たされる、病に打ち勝ち前向きに生きていく、他者を打ち負かすあるいはコントロールする、…そのどれもが心底どうでもいい。
それらをただしいものとして受け入れようと、実現して満たされようと試みたことは何度もある。しかしいつもただ虚しいだけだった。心の奥底をのぞけば、おれが求めていることはこの世界にないのだという確信があるばかり。それを常に自覚してないとかえって苦しみは増すのみ。
生まれてくるべきでなかった。
生まれてくるべきでなかった。
真実といえるのはそれだけなのだ。多くの人が当然求めるものに答えの切れ端もない。安らぎもない。かなうなら生きるべき人にいのちをゆずってこの世界から消えたい。しかしそんな都合のよい話もこのクソ世界にはないのである。
ああ、わかっていたこと。おれが何のために働いているかというと、これはもうただ死ぬために働いているのだ。大抵の人には意味がわからないだろう。それが普通だ。おれの言ってることが分からないというのはこの世に合わせて生きることができている証拠だから自信をもってくれていい。果てさて、いきたかろうがしにたかろうが腹は減る。日銭をどうにかするためというのも残念なことに理由としてそこにある。だがまあ違う目的が主なのだ。事故に遭う確率が高く、さらに単純に体をこわすおそれが大きい仕事をしている。それをよしとして働いてる。ムチャな連勤がつづいてもいいのだ。ムリヤリ走り続け、全身がバラバラになってこわれる、壊れた自分の部品は暗い底へ落ちて見えなくなる。この世からの退場。そんなイメージがおれにとってはわずかばかりの安らぎなんだ。
作為がほんとうに嫌いだ。この世で正しいとされるものは全部作為の中にある。何かの意図がある。それらすべてがきもちわるい。要は人間がきらいだ。自分が人間であることも含めて嫌気がさす。はやく呼吸が止まればいい。はやく心臓が鼓動をやめればいい。この身が灰になってどこかへ散って消えてしまえばいい。
無為に生きて、無為に消えたい。生きる才能をもたない自分にとって、望みはただそれだけ。おわり、おわりをくれ。
こどもをつくらない理由と母の老いた手
先日、母を助手席に乗せて運転していた時ふと母の年老いた手の甲が目にうつり、こんなに年を取った母に孫の顔を見せられず申し訳ないなと思った。私はいま42歳で、こどもをつくらないと決めている。母にもそれは話している。母も納得してくれたがほんとうのところではきっと孫をかわいがるおばあちゃんになりたかったろうな、とも思う。私には姉もいるが、独り身で数年前病気のためこどもができない身体になった。母は孫の顔を見ることなく孫を抱くことなくやがて死んでしまう。親不孝な子供になってしまってごめんよ。
私がこどもをつくらないと決意したのは育った家庭が機能不全だったからだ。父は私が小さいときから家にほとんどいなかった。私が小学生のころから不倫を続け、やがて蒸発した。私は子どものころから現在に至るまで人を頼ったり、誰かに悩みを相談したりが全くできない人間だ。端的に人との距離の取り方がわからない。さかのぼれば身近な大人である父とコミュニケーションがまともに取れなかったことに原因がいくらかある。父とは上辺だけのぎこちない会話しかした覚えがない。自分の本音を話したことはないし、父の本音を一度も聞かなかった。機能不全の家庭しか知らない。そんな自分がまともに家庭を築きこどもを育てられる気がしない。
さらに私は19歳でうつ病と診断された。以来20年以上薬づけだ。なんとかギリギリのところで社会人らしいポーズをとっているが、薬ではどうやったって希死念慮は消えない。毎日毎秒うっすら死にたいのだ。そんな病人は未来に責任がもてない。そういう理由もある。
こどもをつくりまともな家庭をもつ人が「こどもがいることで自分のこども時代を追体験できる」と書いているのを見たことがる。たとえば動物園、遊園地に子供を連れて行く。動物を見て新鮮に感動したりジェットコースターに乗って新鮮におどろき楽しんでいる子供を通して、大人である自分も新鮮にこころが動くというようなことだ。なるほどそれはきっと素晴らしいことだろうなと思う、と同時にそれもまた自分がこどもをつくりたくない理由だともやはり思うのだ。この話は自分のこども時代が幸福であったひとがこどもを健全にそだてていく話だ。私はその逆のこと考え、こわくなる。自分にこどもがいたとして、周りと違う家庭環境に悩んだり、学校になじめず苦しんだり、10代の焦燥感や性との向き合い方を誰にも相談できず自分を追い詰めたりしたとき、私はそれにきちんと対応できるのか。ただ自分の過去の苦しみを追体験し戸惑うばかりで、こどもの支えになれずにこどもをさらに追い込んでしまうのではないか。
自分が幸福に育ってきた人が幸福な家庭を築き、こどもを幸福に育てていく。幸せの再生産がただしい。不満や病気にまみれた人間は不幸を再生産してしまう、そういう確信めいた予見が自分の中にある。だから私はこれでいい。こどもを育てる責務からにげる。その代わり、あの日父親が運動会にいないこと疑問に思っていたさみしい子も、母に心配をかけぬよう無理にいい子を演じていた子も、本当は周りに溶け込めないことに気付いていていつも苦しんでいた子も、うつやパニック障害のことを誰にも言えずもがいていた子も、もう過去のそんざいで現在にはいない。未来にもいない。静かで虚しいイメージだけが私のなかにある。ただやはり母の老いた手を見ると後悔がずしりとやってくる。それもまた仕方のないこと、選んだこと。その荷物をこの先も背負っていく。
私は何となくあと10年も生きないような気がしている。悪い予感だけは何故かあたる人生だった。だから多分そうなる。生きることに価値を見出せた人だけが幸せを求めればよい。世界はすばらしいとおもう人たちだけがこどもをこの世界に迎えればよい。
私はただもうおわりを待っている。一応動くフリをしているがもうとっくに電池が切れた安いガラクタなのだ。この手、この身、じんせい。もう求めることもなく、望むあれもない。病と酒をかたわらに置いて、夕暮れを見ている。日が沈むのを待っている。
ルート治療について
【ルート治療】なるものが一部芸能人やスポーツ選手の間で流行しているらしいとネットで見かけました。
個人的な話ですが、私ファイターズファンでして万波中正選手のことも好きなんですよ。その万波選手もやっているのを見てしまって、これはどうにも…
調べて違和感を覚えた部分について残しておこうと思いまして書きます。
影響力もないブログなので、書いてどうこうしたいというわけでもないです。自分用に起きている出来事をわかっておこう、整理しておこうという意味合いが大きいです。
※文章前半はそもそも鍼灸治療とは何かというメモ的なものです。【ルート治療】における不信な点については後半の◎実際にYoutubeで白川勇作氏の説明を聴いてみる以降をお読みください。
【ルート治療】とは…
鍼処SHIRAKAWAの白川勇作氏が考案した治療法とのこと。
身体のコリが全ての病気のもとと考え、そのルートをたどって治療することで
あらゆる病を改善に導くことができるというものです。
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そもそも鍼灸治療は少なくとも2500年前から行われ、日本においても6世紀の初頭、飛鳥時代に仏教伝来と時を同じく渡来したと云われています。
明治7年、政府は日本に近代的な医事衛生制度を導入すべく、西洋諸国の医事制度を模範とした医制を制定。それによって一時、鍼灸・漢方が非合法化されました。しかしその後ふたたび、鍼灸・漢方の効果が認められ明治35年に合法化されました。
そのように長い歴史を持つ鍼灸治療において、新たな治療法を発見考案したというのはすごいことです。事実考案者白川勇作氏のもとには多くの芸能人、スポーツ選手が治療を受けに訪れているようです。白川勇作氏のインスタグラムには有名俳優、メダリストなど豪華な顔ぶれが並んでいます。
ただこの治療法を行う白川勇作氏の発信において、治療・医療の分野とは相容れない文章や発言が見られました。これが一体なにを意味しているのかひとつずつ確認してみます。
まず前提として鍼灸治療とは何なのか、ということです。今回問題として取り上げる白川勇作氏は鍼施術が専門のようですので鍼施術についてまとめます。
■鍼施術は極めて細いステンレス製あるいは銀製の鍼(長さ約15mm~90mm、太さ直径約0.10mm~0.30mm)を用いて、身体に刺入する。
■鍼を刺入せず専用の道具で皮膚を摩擦・接触・押圧するだけの施術法もある。
■肩コリ、腰痛、神経痛、関節痛などに適応、
鍼灸は多くのつらい症状や病気に効果が期待できる。
■医療の分野ではEBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づいた医療)という新しい研究手法が取り入れられ、鍼灸の分野でもEBMの手法に則って研究が進められている。
■鍼治療と西洋医学的治療の効果や有用性を比較した研究もあり、ドイツと米国では、緊張性頭痛・片頭痛・膝関節痛・腰痛の4つの疾患について、莫大な公的資金を使った大規模な比較研究が行われた。
結果、片頭痛の有効性だけは鍼治療と最新の西洋医学的治療がほぼ同等だったが、その他3疾患の有効性と、片頭痛を含む4疾患すべての安全性、経済性は鍼治療の方が優れているという結果が報告された。以降、ドイツ・米国では鍼治療に保険が適応されるようになった。
■傷害を受けると自然治癒力や免疫システムが働きだし、身体に反応が起こる。血管を拡張させて酸素や栄養をたくさん含んだ新鮮な血液を呼び込んで新陳代謝を高めたり異物と戦う白血球を呼び寄せて傷付いた部位から感染することを防いだりする。鍼灸治療はこのような反応を利用し、皮膚や筋肉に目には見えない微細な傷や小さな火傷を作り、筋肉の血液循環を改善して肩こりや腰痛を治したり、傷害を負った部位の修復を促進する。
(公益社団法人 日本鍼灸師会HPより)
日本では以上のような行為を鍼施術と定義し、自己の治癒力や免疫の働きを高めることで体調を整えたり、身体の治癒の促進が可能としています。
日本において鍼灸療法が有効とされかつ健康保険適用されている疾患には
・神経痛 ・リウマチ
・頚肩腕症候群 ・頚椎捻挫後遺症
・五十肩 ・腰痛
などがあります。
(医療法人社団 汐咲会グループHP/鍼灸治療は何に効くの?より)
他の国では鍼治療はどのような位置づけでしょう。厚生労働省が運営しているeJIM(イージム:「統合医療」情報発信サイト)という、民間療法など相補・代替治療についてデータや根拠に基づいた情報を発信しているサイトがあります。
https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/index.html
ここにアメリカにおける鍼治療のデータがあります。
ざっくりまとめると
・鍼治療はすっごい昔からあるけど
どういうメカニズムで効くのかはっきりとは分かりませんよ。
・鍼治療においてはプラセボ効果も大きいと推測されますよ。
・実際のデータを見ると確かに鍼治療で痛みが緩和されてますよ。
・鍼治療がいまいち効かない疾患もありますよ。
・やばい鍼治療をされるとやばい副作用おこりますよ。
・何にせよ、不調があればまずは普通に病院行くのがいいですよ。
その上で必要と思ったら病院と相談しつつ鍼治療も選択肢に入れてみましょう。
ということです。
日本とアメリカでやや扱いの違いはあるものの概ね鍼治療とは、肩コリ、腰痛、神経痛、関節痛などに効果が期待できる。治癒のメカニズムは現在も検証中の部分もあるが、データとしては様々な病に効果があると推測される。万能の治療法ではないので西洋医学的治療と組み合わせることを考えるとよい。
以上のようなことが一般的な鍼治療ということです。
◎実際にYoutubeで白川勇作氏の説明を聴いてみる
しかし【ルート治療】とはあらゆる病を治せると言っています。不定愁訴(ふていしゅうそ)という本人や病院でも原因がわからない不調ですら見つけて治せるとのことでした。鍼治療を超越したまさに万能の治療法です。これは具体的にどういったものなのか是非知りたい。多くの芸能人、スポーツ選手をひきつけるだけの説得力があるはず。白川勇作氏が提唱する【ルート治療】はいったいいかなる治療で、他の鍼灸治療と何が違うのか。
ご本人が語っている動画がありましたので視聴してみました。
【閲覧注意】【前編】鍼1200本‼ルート治療とは?考案者白川先生に直撃。
https://www.youtube.com/watch?v=rvaXIV8AeOI
【閲覧注意】【後編】鍼ルート治療が効く!どこに行っても治らない痛みを解決。
https://www.youtube.com/watch?v=IRDILpI9kwY
動画ではとにかく多くの針が人体に刺さるので一応【閲覧注意】です。
治療というからにはあくまでも医療や医学に基づいた話だろうという前提で視聴しましたが実際はそうではないようです。スピリチュアルだったり根拠のない数値の話が大部分でした。
以下、医療・医学とは異なる発言の抜粋です。
【前編】
①「患者さんの体に邪気みたいなものがこびりつく、一般的に言うとコリです」
いきなりの「邪気」発言です。自身が行っていることが医学に基づいていないことの宣言とも受けとれます。
②「本気で治したい人じゃないと乗り越えられない治療」
「覚悟がある人だけを受け入れていく治療法」
このあたりの発言はつまるところ、ブラック企業の新人研修で新人を肉体的、精神的に追い詰め『こんなことも乗り越えられない奴はどこ行っても通用しないぞ!』のように恫喝し逃げ場をうばう前時代的な精神論と大差ありません。また、治療を乗り越えた患者に痛みに耐えた特別な人間であるという達成感を与え、コントロール下に置きたいという意識が透けて見えます。
③「人間の身体の病気はコリからなっている。患者さんを触っていけばあとは答えが勝手にわかる」
これは医療ではなく占いやスピリチュアル分野の発言です。レントゲンやMRIを撮っても見落とされる腫瘍、病巣は多々あります。そのためPET検査など人体をスキャンする技術は日々研究され新たなものが実用化されています。もし本当に白川勇作氏が触っただけですべての病気を見通せるなら今すぐ大病院に勤務すべきでしょう。
④「一旦たまってしまったコリは減っていかない」
これは明らかな嘘です。運動、入浴、マッサージなど血流改善によってコリは解消します。改善の程度が人それぞれだったり再び筋肉が硬くなりやすい体質の人はいますが、コリが減らないということはありません。
⑤「80の肩コリの人と35万の肩コリの人が存在します」
何を根拠に数値化されたものか不明です。白川勇作氏の主観でしょう。もっと分かりやすく100の肩コリと100万の肩コリの人が存在しますと言わないのは人間が切りのいい数字より半端な数字に興味をもってしまうこと(端数効果)を知っているためでしょう。
⑥「僕がやっていることはただ1つ そのたった1つの手法で全部解決する」
これは通信販売などでよく聞く言い回しです。
「これさえ飲めば健康になれます」「これさえ食べれば栄養バランスは完璧」人間は考えることを面倒くさがる傾向があり健康維持のためには食事に気を付け、運動を持続的に行い、睡眠時間を確保し…などと考えるのを本当はやめてしまいたい。「これさえやっとけば全部OK」という安易な文句に惹かれるものです。楽して多くの良い結果を得たい。しかし本当はそんなものないわけです。人の弱さにつけこむ言い方。そういう言葉を投げかける人が本当に求めているものは少なくとも他者の幸福ではないでしょう。
⑦「ルート治療の鍼は痛いほど悪い 新規の患者さんの問診は17秒くらい」
「鍼は痛いほど悪い」は患者を暗示にかけているだけです。痛いですか?その分効いてる証拠です、耐えた分健康になれますよ、と。たとえ失敗で痛みを与えてしまってもいくらでも言い訳できてしまう不誠実な前置きです。新規の患者さんに問診をわずかしかしないのも、一般的な鍼灸治療とはかけ離れた対応です。通常は来院のきっかけとなった症状や部位、発症原因や経過などを聞いたうえで、脈診・腹診・舌診など各検査を行い鍼灸の適応か否かを判断したうえで施術します。ここを省いてしまうということは治療に対して真摯な姿勢を持っているとは言えません。そしてまた17秒という端数効果を用いています。「問診は20秒」と言ってしまうと問診を怠っている印象を与えますが、あえて17秒にすることで「17秒で相手を理解する自分」「問診は17秒でも触ればすべてがわかる自分」を演出しています。
⑧「鍼を刺されるのが痛いと感じるのは人間の勝手な判断 細胞側はこの刺激が俺たちは欲しいと言ってるかもしれない 身体に必要な痛みなのかそうでない痛みなのかを踏まえているかいないかで治療に対する姿勢が変わってくる 患者さんが乗り越える覚悟があるのかないのか見定めている」
白川勇作氏は「患者さんの覚悟」という文言を繰り返します。例えば、病院の医師は通常患者側に覚悟を求めたりしません。手術の際、執刀医・麻酔医それぞれから手術の説明があったあと「心配なことや分からないことはないか」という質問はありますが、治そうという意思や覚悟には言及しません。淡々と手術、治療を行うのみです。白川勇作氏が覚悟を求めるのは患者を逃がさないための方便です。長い期間繰り返し治療に通ってもらい利益を得ることが優先事項で、通院をやめようとする患者に「覚悟が足りない」と思わせることで退路をふさいでいるのです。
⑨「頑張ってルート治療しても細胞の性質上1回の治療で270,000だったら3,000しか減らせない」
また根拠のない数値が出てきました。「細胞の性質上1回の治療で270,000だったら3,000しか減らせない」細胞にそんな性質があるのか甚だ疑問です。また270,000のうちの3,000ずつしか治せないというのは何を論拠として分かるのでしょう。
⑩「人間の身体を治すのは簡単ではない 鍼灸師があきらめず50回100回 2~3年・5年10年かかっても鍼を続けていけばその人が救われる」
「その距離感が可視化も数値化もできない 医者が訳が分からなくなる 救われないのは患者さん 大丈夫これで絶対3,000ずつ減ってると確証を持ちながら 鍼灸師側が信じて続けないと患者さんは一生救われない」
「これで絶対3,000ずつ減ってると確証を持ちながら」確証という言葉を使いながら客観的なデータは示されません。結局主観の話に終始しています。
【後編】
⑪「一般患者を含め鍼灸師の人たちを巻き込んでいくのが僕の作戦 どんどん露出して賛同してくれる人や感銘を受けてくれる人を集めて 各々発信してくれれば どんどん輪が広がって始めは反対してた人も賛同してくれる」
【ルート治療】を広めていきたいという願望があるようです。「始めは反対してた人も賛同してくれる」という部分について、反対する人がいてもいい、ではなく賛同してくれると言い切るあたり他者をコントロールすることに高い関心があるようです。
⑫「10番鍼(0.34mm)や15番鍼(0.44mm)を悪だ!と言ってるような先生は太い鍼を痛くなく刺す技術がないと露呈しているにすぎない」
自分の治療法に自信を持っているなら他者の治療について貶めるようなことを言う必要はないです。太い鍼はそれだけ体への負担が大きくもなるのですから、患者さんの状態に合わせてあえて使っていない鍼灸師もいることでしょう。
⑬施術が終わった患者さんに向かって「邪気的なものが抜けると言ったじゃないですか 邪気だらけだった」
そしてまた最後にコリではなく「邪気」という言葉を使います。白川勇作氏が動画内でしていたのは治療ではなくお祓い?だったのでしょうか。
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ここまでがYoutube動画における
白川勇作氏の【ルート治療】についての発言です。
そもそもコリとは何をさしているのでしょう。一般的には筋肉が張って硬くなり血流を悪化させた結果老廃物が蓄積してしまう。酸素が運ばれにくくなり疲労物質である乳酸が蓄積する。酸素が不足すると筋肉は硬くなる。
この悪循環全般のことをコリと言うようです。
ただ白川勇作氏が言う「コリ」はすでに医学的コリではない可能性が高いです。「コリ=邪気みたいなもの」と言っているので、筋肉が硬くなり血流を悪化させた結果老廃物がうんぬんのことではなく白川勇作氏が言っているのはそこに属さない「スピリチュアル・コリ」である可能性が高いです。
白川勇作氏のインスタグラムに鍼治療中の患者さんの何人かが泣いている動画があるのですが、そこに書かれている言葉は以下のような内容です。
・新患さんのうち6割以上の肩が涙を流すルート治療。
・自分の意思とは無関係にあふれ出す意識や感情。忘れたと思っていた出来事の数々もすべて体の中に取り残されています。
・ずっと生きにくい苦しさがあった。やっと本当の自分らしさに出会える喜びを細胞は理解します。
・過去世から含めた数百年分の乗り越えるべき課題を克服できる幸せは誰にでも掴み取る権利があります。
その他にも俳優さんが治療を受けている投稿には
・驚異的なオーラで演技の仕事をされているので、相応のリカバリーを必要としています
などと書かれています。
白川勇作氏が使う鍼は10番鍼=0.34mm ~15番鍼=直径0.44mm
公益社団法人日本鍼灸師会が一般的に使うと説明している鍼は 0.10mm~0.30mm
新患さんが涙をながすのは単に痛いからでは、と邪推してしまいます。
これはやはり鍼治療ではない何かです。あるいはこのスピリチュアルカウンセリングと鍼治療のハイブリットこそが【ルート治療】ということかもしれません。
鰯の頭も信心からと言われるようにプラセボ効果で良い結果が得られるならそれでいいとする人もある程度いることでしょう。しかし、鍼治療は人体に鍼を刺す治療法です。
神経や内臓を傷つけたり、重篤な副作用が起こる可能性がある行為です。
そういった治療を行うにあたり、「触ればすべてわかる」「問診は17秒」といった慎重さ、丁寧さを欠いた過信ともいえる姿勢は本当にただしいものでしょうか。
もし、白川勇作氏の治療を信じてやってきた患者さんに重い副作用が出たら、プロスポーツ選手が【ルート治療】によってプレーに支障が出るような神経への影響があったら、俳優が表情筋や喉に傷をつけられてしまったら。そういう事故の可能性は通常の鍼治療でもあることですが、【ルート治療】は「病状についてヒアリングや検査なし」「触ればすべてわかる」という手法をとることでむやみに事故や副作用の確率を高めてしまっています。
今後何かしら患者さんに副作用がおこった場合、白川勇作氏本人は「過去世からの課題を今回は克服できませんでした。今後の治療で一緒に克服しましょう」
と言えばその場は逃れられるかもしれません。スピリチュアルは具体性がない以上どういう言い訳も作り出せてしまいます。
しかし他の鍼灸師さんたちにとっては業界全体のマイナスイメージにつながる出来事となってしまうでしょう。事故が起きたとき割を食うのは真摯に患者さんに向き合い、リスクを減らす努力を惜しまず、低価格で治療を行っている鍼灸師さんかもしれません。
Youtube動画内で施術を受けている患者側の発言として、はだきんぐさんが「理論もそうだし説明が上手なのでわかりやすい。納得できる」と発言していました。
ここで気を付けるべきことは
【わかりやすい=本当のことを言ってる】
【納得できる=騙されていない】
ではないということ。嘘や「その人だけにとっての真実」を雄弁に語る人というのも世の中にはたくさんいます。動画を観ると分かりますが白川勇作氏の語りは自信に満ち、落ち着いていて耳ざわりのいい声です。内容はともかく目の前にいる人を信用させる才能がある人物でしょう。
しかしそこで語られた内容をよくよく理解していくと「邪気」「オーラ」「過去世からの課題」などといった存在するかどうかもわからないものを重要なことのように語り、統計や客観的なデータなどないのに具体的な数値でコリを表現し、患者さんに不必要な覚悟を迫り、ここでしか治せないことを強調する。語っていることは以上のようなことです。
これを分かった上でどう判断するのかは、個々人によるとしか言えません。
それでも信じるに値すると、誠実でいい治療だと思う人は受ければよい。
最後になぜこういった医学的、科学的根拠に乏しい治療がプロスポーツ選手や有名芸能人のあいだで流行してしまうのかを考えてみます。
やはりプロスポーツ選手や有名芸能人のなかには「自分は他の人と違う特別な人間だ」という意識が多かれ少なかれあるのでしょう。秀でた才能があったり多額のお金を稼いだり、周囲から特別扱いをされ続けていればそういう意識になってしまうのはある程度仕方ないことです。問題はそこに付け込んで富を得ようと画策する人間がいること。それを自分で理解して分別をつけないと簡単に流されてしまいます。
こういった治療に至るまでの思考は以下のようなものでしょう。
「自分は一般人とは違う優れた人間、特別な人間である」という意識がベースにある。
↓
「特別な人間なので一般人が知りえない貴重な情報を得ることができるはずだ」
↓
「普通の人が行く普通の病院とは違うもっと高レベルの治療を紹介された、
これは自分が特別な人間だからだ。」
↓
「紹介してきた人間も特別な人間の側だったから、この治療は信頼できる」
どこかの時点で疑問をもったり自分で調べたりすれば、こういった悪い流れから脱出することは簡単なはずですがそれができないのは「自分は特別」というプライドを捨てきれないためです。
多くの人がかかる普通の病気に関しては普通の病院のお医者さんが一番詳しいです。がん治療については日々がん患者の治療にあたっているがんセンターのお医者さんが一番詳しいです。それらを補う形で漢方に詳しい薬剤師さんや整体師さんや鍼灸師さんがいます。痛みの緩和や身体のバランスを整えることなどについて精通しています。それぞれの専門分野があり、とあるひとりの鍼灸師さんがどんなお医者さんより優れていてすべての病を理解し治療できるということはあり得ないです。もしそんな人がいたとしてもそういう人の治療法が世間一般に知られずに、芸能人やスポーツ選手だけが独占的に知りえる特別な情報となっているはずがないのです。
本当に有効性の高い治療は臨床研究、臨床試験、治験を経て場合によっては従来の標準治療を新しい標準治療に切り替えるかたちで一般に広まります。何にせよ自ら調べる、その上で判断するというプロセスが自分を守ることにつながるでしょう。
普通の暮らしをしていても、身体や精神が弱っているところにつけこもうとしてくる人や集団は常にいるものです。違和感を覚えたり不信感を抱いた情報に対して、どこがどのように間違っていると感じたのか信頼に足らないと思ったのか常に考え自分や周囲を守れるだけの視点をもちたいものです。
参考・引用サイト
〇厚生労働省eJIM 「統合医療」に係る 情報発信等推進事業
https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/index.html
〇公益社団法人 日本鍼灸師会
https://www.harikyu.or.jp/
〇医療法人社団 汐咲会グループ
https://www.inohos.com/
〇がん情報サービス 研究段階の医療
https://ganjoho.jp/public/dia_tre/clinical_trial/ct_qa01.html
〇鍼処SHIRAKAWA
https://www.recreatiooon.com/
〇白川勇作氏 インスタグラム
https://www.instagram.com/shirakawa.729/
Father, you left me but I never left you
父が死んで6年ほど経つ。
物心ついたときに父親はほとんど家に居ることはなく、年に数回顔を見るあまり知らない大人、という程度だった。どういう理由で家に居なかったのかは今でもよく分からない。まあ、いわゆる普通の家庭を維持できる人間でなかったのだろう。
その後それもまたどういう理由かは不明だが私が小学4~6年生のころしばらく家に居た。小学校6年生のときの運動会で初めて父が運動会を観にきた。いわゆる普通の子たちの家庭は毎年両親が運動会にくる。自分の家だけがそうではないことに何となく寂しさを感じていたのだろう。それはうれしかったのを覚えている。
その時期にはいろいろと遊んでくれた。キャッチボールしたり、どこからかバギーを買ってきて一緒に乗ったり、バーベキューをしたり。楽しかった思い出でもあるが、子供心にどこか慣れない大人とぎこちなく遊んでいる感覚もあった。今思えば父も子供とどう接したらいいかわからない戸惑いがあったように思う。
その後私が中学生になるころにはまた年に数回しか家に帰らなくなり、やがて完全に蒸発した。母は「会社で責任ある立場になったから長期出張が多くなった」と言っていた。後に単なる不倫で家に寄り付かなくなったことがわかるのだが、母は母で子どもに何かを教えたり伝えたり、相談したりできない人間だった。深刻なことほど子どもに隠す母だった。私は母の説明に違和感がありつつもそういうものかとあまり深く考えることをやめていた。
私が19歳のとき、それまで音信不通だった父から母に「愛人といっしょになるから離婚してほしい」と連絡が入った。母は鈍感なひとで、いつか父が家庭に戻ってくると信じていたらしくショックを受けていた。私は今まで離婚してなかったのが不思議だったのでまあそうだろうなと思った。その時も父は直接私と姉に連絡することはなかった。状況を案じた父の友人が連絡をくれて私は「父と直接会ってどういう経緯でそうなったのかを聞きたい」と伝えた。父の友人はそのことを伝えておくと言ってくれたが、結局父は姿を現すどころか全く連絡をしてこなかった。逃げたのだ。しばらくして離婚が成立した事実のみ母から伝えられた。
次に父と会ったのは父方の祖父ががんの手術を受けるときだった。私ももう20代後半の社会人になっていた。病院でふいに顔を合わせることになり、互いに気まずいまま2、3言葉を交わしただけで終わった。
数年後父方の祖父が亡くなり、葬式で再び父と会うこととなった。祖父の通夜が終わりその夜に十数年ぶりに父、母、姉、私の4人で食事をした。母は愚直なまでに父を愛しておりこのままこういう関係が戻ってくることを期待しているようだった。だがその頃には父と母の離婚は成立しており、父が愛人と暮らしていることを私も姉も知っていた。その場で父は唐突に「愛人と再婚することになった」と言い出した。こんなタイミングでそのようなことを言い出す父は完全に狂っているのだと実感し言葉を失った。こいつはまったく自分のことしか考えていない。母の気持ちを想像もしないし、自分の子どもについても成り行きでできてしまった腫物ぐらいの感覚なのだろう。さらには慌てて付け加えるように「再婚してもみんな家族だから…」とモゴモゴ言い出す始末だった。自分の家庭や子どもの人生をめちゃくちゃにしておいて何の責任も取らないし、謝りもしないどころか何とか自分を善良な存在だと取り繕おうとしていた。哀れ、という以外の感情がわかなかった。
そして、自分は父にとって本当にどうでもいい、むしろ邪魔な存在なのだということを痛感した。小学生のころから薄々感じてきた自分はいらない存在なのではないか、という疑問に答え合わせがされてしまった。
それからまた7、8年父と会うことはなかった。次に連絡がきたのは姉を通してで末期の肺がんで余命いくばくもないとのことだった。その数年前から父との別れは唐突にくるだろうなという予感がずっとあったので、驚きはしなかった。私は一人で面会に行った。まだ雪が残る3月の寒い日だった。病棟の個室には弱り切ってひっきりなしに咳をする父がいた。それでも私の顔を見た父はうれしそうな表情をして咳の合間に一生懸命昔話をした。すまなかったと謝罪の言葉もあった。私はといえば父の言葉にうなづくことしかできなかった。私の人生を台無しにした父には怒りと憎悪さえあったが、弱り切って死を待つばかりの父を前にそういう感情も霧散し、ただただ暗澹たる気分になるだけだった。病院からの帰り道、とてつもない虚無と苦痛をともなう真っ黒な悲しみに襲われた。ぐしゃぐしゃな気分だった。地獄の底、血と泥の混じった腐臭漂うぶよぶよの地面を歩いてるようだった。誰でもいいからすがりついて泣き叫びたかった。
そんな気分も消えぬうち、それから5日後に父はあっさりと死んだ。容体が急変した連絡を受けて病院に急いだが死に目には間に合わなかった。ただもう静かになった父がベッドに横たわっていた。悲しみもあったが、父は逃げ切ったのだとも思った。本当は向き合うべき関係や自分の業から。死んでしまえばもう何も問うことはできない。強制的な終了だ。
と思っていたのだが父の死後にも苦痛はつづいた。父は再婚していたにも関わらず遺言を残していなかった。再婚相手との間に子供はいなかったものの再婚相手、姉、私の間で財産分与について揉める要素ばかりが残っていた。それはうっとおしいことに今もまだ続いている。とかく最期の最後まで子どものことなど考えない父だった。
私はべつに過激な反出生主義ではない。家庭をもち子どもを育てていける人は素直に尊敬するし、子どもたちは幸福であってほしいと願う。ただ私個人としては子どもをつくることはしないと決めている。親の存在によって自分の人生が否定と惨めさで塗りつぶされていく苦しみを知っているからだ。自分がそういう親になってしまう恐れがある。いい家庭というものが実感として分からない。自分は人の親になってはいけないと強く思う。だから私のいのちは次へつながない。
父の呪いと言えばそれまでだが、私自身が私なりに考えて出した結論だ。
ジョン・レノンも歌ってたぜ。
I needed you, you didn’t need me
So I, I just got to tell you
Goodbye, goodbye
お前らはまたそうやって便器を素手で掃除させる
しばらくブログを放置していた。特に理由なく何となく文章を書く元気がなかったんだ。中年は積極的に何かをする元気なんてないのが普通なのだ。じゃあ世の中とか自分とかになにかしら感じることなく過ごしていたのかというとそうでもない。己から湧き上がるクソを見つめ続け気がくるいそうだし、世の中は絶え間なくお腹いっぱいになるクソを見せつけてくる。
本質的にはどうでもいいんだけど最近で言えばビッグモーターのニュースはえぐみがすごかった。そしてやべえ組織の常套手段だけど「素手で便器を掃除させる」をしっかり実践してた。これはまあ他の人も何かしら解説してるだろうけどマインドコントロールの基本をしっかり押さえたやり方なんだよな。普通はそりゃ素手で便器掃除したりしない。人間には適切な道具ってものがあってトイレ掃除はブラシとかシートとか使うのが普通だし正しいやり方だ。雑菌やウイルスを爪のあいだに塗り付けるような素手での掃除はやる必要も意味もない。病気になったり手先のちょっとした傷が悪化するリスクがでかい。大抵の人には「素手で便器を掃除する」という選択肢がそもそもない。それがまともな感覚だ。
しかし、やべえ組織はそれを強いる。良識を外れた行為であるのを承知で「素手で便器を磨け」と命令する。自分の価値観にないことをすると人間はそれまで信じていた価値基準に疑問を抱く、要はそれまでの人生で積み上げてきた価値観を破壊される。そうなると人間は無防備状態になる。「ええ…自分の価値観がぶっ壊れた…何を信じたらいいんや…」となる。簡単に言うと混乱し弱りきった状態になっちゃう。
マインドコントロールを執行する側はこの状態に付け込む。まともな価値観を失って右往左往してる社員に新たな価値観を植え付ける。「あなたは素晴らしい組織のためにとても有益なことをしました!」「迷えるあなたを正しく導けるのはまさにビッグモーターなのです!」「ビッグモーターの言うことを聞けばあなたは救われます!」とか文言は何でもいいが、はたから見ればアホみたいな理屈も価値観がぶっ壊されてその穴埋めや助けを求めてる心理の人間にはそういった後付けの理屈も「救い」であるかのように感じられる。かっさかさのスポンジに水を与えるような感じで割と簡単にマインドコントロールは完了する。
いろんな新興宗教だって似たような手口で信者を増やしてきたのだろう。例えばおれの母親はむかし赤ん坊だったおれを連れて近所の雪山でソリ遊びをしてたんだけど、不注意でおれを鉄の柵に激突させてしまった。赤ん坊だったおれは顎の骨を折り大出血、緊急手術からの2か月入院。するとどこからともなく某宗教団体がやってきたそうだ。弱り切った人間に付け込むやり口。おれの母親はその宗教には入らなかったが、そういう方法を心得ている奴らが他人を支配する手口はいつも同じ。
ビッグモーターの新社長が社員に対して「信頼というものがどれだけ大事か」「誇りをもって取り組んでほしい」とメッセージを送ったそうだ。こりゃもう大抵の人がいやでも気づくほどコッテコテに塗り固められた欺瞞で、上層部から現場への信頼なんぞそもそもないどころか人格を破壊して支配することで成り立ってきた企業だというのにそんなこと言うのがまずがっつりイカれてる。さらには社員個人の誇りや自尊心をズタズタに踏みにじって追い詰めてマインドコントロール下においてきた企業らしい発信で、問題の本質を理解していないしする気もない態度が清々しくすらある。
それでも哀れなのは家族のため、要は金銭のためにこの企業は終わりだと気づきながらも逃げることをためらう人。もしくは根っこまでマインドコントロールされてなんとかこんな企業のために報いようとする人がいるんだということ、などを思うとほんとうに暗澹たる気分になる。
人間を人間として扱わない企業がときに膨大な利益を生む。そのこと自体が資本主義のある種敗北だと思うが、金は現代の価値基準において常に最強のカードなのでどうにもならない。人間を食いつぶし暴利をむさぼる企業にも宗教にもうんざりだ。己を失わないことのほうが本質的には大事なんだと常に確認しなければいけない。社会はあらゆる方法あらゆる角度から個人を破壊しようとしてくる。社会的地位とか収入とか肩書きとか所属がどこだとか、怪しげな商売の地域リーダーだとか、フォロワーが何人いるとか、有名人と知り合いだとか、とかくこの世は雑音が多すぎる。自分を自分で支え続けるのが難しい時代だ。いやそれでもひとまず「便器を素手で掃除させる」集団には抵抗し続けるべきだ。他者を支配して食い物にする場所にいる意味なんぞないんだ。
とはいえビッグモーターに残ることを選んだまともな人もたくさんいるんだろう。家族や自分のためにお金は必要だ。そういったことについて結局まっとうな答えもない、言うべき言葉もない。いつも割食うのはイカれた組織じゃなくごく普通の人々なんだ。それが何よりくそったれな事実だ。おれはそれを呪うのか呪わないでいられるか。
てざわり
何かひとつの 手触りをしったら もうそれでいい
はっきりしたその 輪郭を思い出せるなら
架空のレベルが上がったり下がったり
それに振り回されるのももう
犬の寿命なら 猫の祈りなら
穴の開いた持ち物袋
薬の飲みすぎで見る悪夢 止まることを夢見る呼吸
コーキュートス
裏切りをさも 本質だとしたり顔する奴を信じない
水中で聞く音の 遠さ
アルコールの効用 睦み合う あと何日
無理に挟まる 広告を何より憎め
何かひとつの 存在をしったら もうそれでいい
曖昧な 粘膜の感触を 覚えたなら
1度 2度 3度半
ドローン撮影は思ったより うまくいく
古い 古臭い 弦の音を愛せ
ついていけないので
ステップだけ ステップを見てます
飛行機に乗るのも ためらわれる
リネン室にこっそり 仕込んだもの
単調な レベル上げを楽しめば
映像化したら それは終わり
届かない手 重すぎた足
2個ならんだ 電球 手荒れ
不幸を願う どうしようもなさ
120キロの球速 かけすぎたリバーブ
外してしまった そのUSBコード 笑ったのか
手触りを知ったとか 幻想なら いいや
悔やむことも今さら ソフトを ダウンロード
ダウンロード
残りの容量が 何の意味もなさない せめて
これを捨ててから 捨てたなら
それで 忘れるさ
わすれる
誰かが言ってた。忘れないものなどないのだと。最後の最期には全部忘れて失われてしまうんだと。
そうだもっと忘れてしまおう、君のことなんて。
忘れてしまおう、絵を描くことなんて。
忘れてしまう、楽器の弾き方なんて。
忘れてしまおう、楽しかった記憶なんて。
忘れてしまおう、
忘れてしまおう、自意識の吐露を、その恥を。
そして無理やりな大声で誤魔化す。
夏の花火の音がすれば実のところ逃げ場はない。
それに気づかないふりをしよう。
忘れてしまった。忘れてしまいました。
忘れてくれ。誰もかも。何も残さずにこの場を去るのだ。
とはいえ、抗いようもないない。
その残響、シルエット。眠りにつく前のこびりつく恐恐とした黒。
人さし指の深めの傷。過ぎてすぎれば。
忘れて、忘れられることだけが望みでそれに向けて必死に抵抗している。
あの日がありました。ええ、ありましたっけ?
もう少しさむい海の、波際につかる足を覚えているのが苦しいのですが、
どうしたら忘れられる。消えてくれる。
いずれ、それはいずれ。待つことすら忘れましょう。