無為に

おれはシンプルに生きることに向いてない。生きる才能がないんだ。

たとえば大谷翔平選手には突出した野球の才能がある。人間の肉体のピークが15年、それではまるで足りないくらいに。もし人間の肉体のピークが50年、100年とあればその分だけ余すことなく多くの人を感動させるプレーができるだろう。投手としても打者としても最高峰。圧倒的な生きる才能に満ち満ちている。この世に完全にフィットしている、ほんとうに素晴らしい。

これだけ生きる才能がある人物がいるということはその逆もやはり存在するということだ。まったくもってこの世にフィットできない。どれだけ時間をかけても世界になじめない、他者にプラスの要素を与えることがない。意味をもたない人間。

この世界の、現代社会の価値観において重要とされているあらゆるものに関心がわかない。いわゆる普通の人が重要視しているものが重要と思えない。それがただの天邪鬼だ、阿呆のつよがりや言い訳だとする意見に反論する気もないが、ともかくそれが是とされているあらゆる価値基準において、そこに合わせて自分を証明したいという気持ちがまったくないのだ。

社会的地位、肩書き、金を集める稼ぐ、他者からの尊敬を集める、フォロワーや信奉者を増やす、自己実現、安定した老後、子を育て残す、仕事に楽しみを見出す、恋愛とか結婚、趣味に没頭する、社会の不条理に抗議する、誰かを救う、承認欲求を満たす、お得な生き方を模索する、神仏に感謝する、性的に満たされる、病に打ち勝ち前向きに生きていく、他者を打ち負かすあるいはコントロールする、…そのどれもが心底どうでもいい。

それらをただしいものとして受け入れようと、実現して満たされようと試みたことは何度もある。しかしいつもただ虚しいだけだった。心の奥底をのぞけば、おれが求めていることはこの世界にないのだという確信があるばかり。それを常に自覚してないとかえって苦しみは増すのみ。

生まれてくるべきでなかった。

生まれてくるべきでなかった。

真実といえるのはそれだけなのだ。多くの人が当然求めるものに答えの切れ端もない。安らぎもない。かなうなら生きるべき人にいのちをゆずってこの世界から消えたい。しかしそんな都合のよい話もこのクソ世界にはないのである。

ああ、わかっていたこと。おれが何のために働いているかというと、これはもうただ死ぬために働いているのだ。大抵の人には意味がわからないだろう。それが普通だ。おれの言ってることが分からないというのはこの世に合わせて生きることができている証拠だから自信をもってくれていい。果てさて、いきたかろうがしにたかろうが腹は減る。日銭をどうにかするためというのも残念なことに理由としてそこにある。だがまあ違う目的が主なのだ。事故に遭う確率が高く、さらに単純に体をこわすおそれが大きい仕事をしている。それをよしとして働いてる。ムチャな連勤がつづいてもいいのだ。ムリヤリ走り続け、全身がバラバラになってこわれる、壊れた自分の部品は暗い底へ落ちて見えなくなる。この世からの退場。そんなイメージがおれにとってはわずかばかりの安らぎなんだ。

作為がほんとうに嫌いだ。この世で正しいとされるものは全部作為の中にある。何かの意図がある。それらすべてがきもちわるい。要は人間がきらいだ。自分が人間あることも含めて嫌気がさす。はやく呼吸が止まればいい。はやく心臓が鼓動をやめればいい。この身が灰になってどこかへ散って消えてしまえばいい。

無為に生きて、無為に消えたい。生きる才能をもたない自分にとって、望みはただそれだけ。おわり、おわりをくれ。