こどもをつくらない理由と母の老いた手

 先日、母を助手席に乗せて運転していた時ふと母の年老いた手の甲が目にうつり、こんなに年を取った母に孫の顔を見せられず申し訳ないなと思った。私はいま42歳で、こどもをつくらないと決めている。母にもそれは話している。母も納得してくれたがほんとうのところではきっと孫をかわいがるおばあちゃんになりたかったろうな、とも思う。私には姉もいるが、独り身で数年前病気のためこどもができない身体になった。母は孫の顔を見ることなく孫を抱くことなくやがて死んでしまう。親不孝な子供になってしまってごめんよ。

 私がこどもをつくらないと決意したのは育った家庭が機能不全だったからだ。父は私が小さいときから家にほとんどいなかった。私が小学生のころから不倫を続け、やがて蒸発した。私は子どものころから現在に至るまで人を頼ったり、誰かに悩みを相談したりが全くできない人間だ。端的に人との距離の取り方がわからない。さかのぼれば身近な大人である父とコミュニケーションがまともに取れなかったことに原因がいくらかある。父とは上辺だけのぎこちない会話しかした覚えがない。自分の本音を話したことはないし、父の本音を一度も聞かなかった。機能不全の家庭しか知らない。そんな自分がまともに家庭を築きこどもを育てられる気がしない。

 さらに私は19歳でうつ病と診断された。以来20年以上薬づけだ。なんとかギリギリのところで社会人らしいポーズをとっているが、薬ではどうやったって希死念慮は消えない。毎日毎秒うっすら死にたいのだ。そんな病人は未来に責任がもてない。そういう理由もある。

 こどもをつくりまともな家庭をもつ人が「こどもがいることで自分のこども時代を追体験できる」と書いているのを見たことがる。たとえば動物園、遊園地に子供を連れて行く。動物を見て新鮮に感動したりジェットコースターに乗って新鮮におどろき楽しんでいる子供を通して、大人である自分も新鮮にこころが動くというようなことだ。なるほどそれはきっと素晴らしいことだろうなと思う、と同時にそれもまた自分がこどもをつくりたくない理由だともやはり思うのだ。この話は自分のこども時代が幸福であったひとがこどもを健全にそだてていく話だ。私はその逆のこと考え、こわくなる。自分にこどもがいたとして、周りと違う家庭環境に悩んだり、学校になじめず苦しんだり、10代の焦燥感や性との向き合い方を誰にも相談できず自分を追い詰めたりしたとき、私はそれにきちんと対応できるのか。ただ自分の過去の苦しみを追体験し戸惑うばかりで、こどもの支えになれずにこどもをさらに追い込んでしまうのではないか。

 自分が幸福に育ってきた人が幸福な家庭を築き、こどもを幸福に育てていく。幸せの再生産がただしい。不満や病気にまみれた人間は不幸を再生産してしまう、そういう確信めいた予見が自分の中にある。だから私はこれでいい。こどもを育てる責務からにげる。その代わり、あの日父親が運動会にいないこと疑問に思っていたさみしい子も、母に心配をかけぬよう無理にいい子を演じていた子も、本当は周りに溶け込めないことに気付いていていつも苦しんでいた子も、うつやパニック障害のことを誰にも言えずもがいていた子も、もう過去のそんざいで現在にはいない。未来にもいない。静かで虚しいイメージだけが私のなかにある。ただやはり母の老いた手を見ると後悔がずしりとやってくる。それもまた仕方のないこと、選んだこと。その荷物をこの先も背負っていく。

 私は何となくあと10年も生きないような気がしている。悪い予感だけは何故かあたる人生だった。だから多分そうなる。生きることに価値を見出せた人だけが幸せを求めればよい。世界はすばらしいとおもう人たちだけがこどもをこの世界に迎えればよい。

 私はただもうおわりを待っている。一応動くフリをしているがもうとっくに電池が切れた安いガラクタなのだ。この手、この身、じんせい。もう求めることもなく、望むあれもない。病と酒をかたわらに置いて、夕暮れを見ている。日が沈むのを待っている。