こないだ俺は37歳になった。こう書いていてぞっとするほど完全なる中年、オッサンだ。白髪が増えた。腹も出た。俺が好きな映画「ソフィアの夜明け」の俳優フリスト・フリストフが死んでしまった年齢に追いつくところだ。世のオッサンの多くがそうであるように、俺も例に漏れず今どきの、流行りの音楽を追えなくなって久しい。若いヤツがみんな同じ見える、などとは言わないが。さすがにあいみょんと米津玄師の区別はつく。しかし単純に新しいものを知るエネルギーがないんだ。若いときは何でジジイやババアは昔の音楽を繰り返し聞いては「昔はよかった」みたいなことを訳知り顔でのたまうのか不思議に思っていた。単純に昔の音楽より今の音楽のほうが進歩しているしいいに決まっているだろうと。しかし自分がジジイにさしかかった今はわかる。単に新しいものを知って、受け入れるのが面倒くさいんだ。若いときはそれがデフォルトだから気付かないが何かに興味を持って受け入れるのにはエネルギーが必要で年を取るとそれが著しく減退する。それに加えて感性の柔軟さとか好奇心も萎えていく。なので自分の既知の範囲で完結したがる。そのほうが楽だから。年を取ると言うのはどうしようもないことだ。うすうす感性の死んだ自分に気付きつつも、まあいいかで過ぎていく連続だ。
そんなオッサンな俺だが高校生のころからずっと聴いているバンドがある。GRAPEVINEというバンドだ。高校2年のとき読んでいた桜井亜美という人の小説にGRAPEVINEの「そら」という曲の歌詞の一節が引用されていた。
「夢みたいな 夢でもない様な日は流れてく 無駄に身を焦がしたって 残ってく物何一つだって 君はずっといつかの空の色 見とれてた 風にその胸を張って さらに舞上がるんだってさ」
その歌詞が気になってアルバムを探した。近所のCDショップには「そら」が収録されたアルバムがなかったので、そのとき発売されたばかりだった「Lifetime」を買った。1999年のことだ。それを聴いてなにかドラマチックな衝撃があったわけではない。ふうん、といった感じだった。「スロウ」と「光について」と「望みの彼方」がいいなと思った。それと何について歌っているかよく分からない歌詞が好きだなとは思った。世の中には恋愛ソングが多く、当時モテないごくありふれた暗いいじけた高校生だった俺はイマイチそういう曲に共感できていなかった。GRAPEVINEというバンドはボーカルの田中和将がすべての作詞をしていて、曲は田中を含めてメンバー4人全員がそれぞれに作るというバンドだった。それには驚いた。そのとき他に聴いてたバンドといえばMr.Childrenとスピッツで、どちらもボーカリストが作詞作曲をすべてやっていた。俺はバンドとはそういうものだと思い込んでいた。「Lifetime」を聴き続け、いつの間にか気に入っていたのだろう他のアルバム「覚醒」「退屈の花」を買い、当時わりと音楽雑誌にも特集されていたりテレビに出たりもしていたので、それらを追いかけるようになった。田中和将のルックスも好きだった。いわゆる整ったイケメンとは違うが男から見ても色気みたいなものがあった。
あるときロッキンオンジャパンに田中和将のロングインタビューが載っていた。田中はかなり複雑な人生を歩んできたようだった。そういった少年時代だからこそ捻くれた視点の歌詞を書くのか、と勝手に納得したような覚えがある。まあ実際には複雑な人生を送ったからいい詩が書けるなんて都合のいい方程式はないのだろうけども。田中自身は「歌詞はメロディに乗ったとき気持ちのいい響きの言葉を選んでいるのであって詩ではない」みたいなことを言っていた。とはいえ、当時いかにも暗い10代の少年らしく、生きていることに悩んでみたりしていた自分にとってGRAPEVINEの詩はひとつの支えだった。
「何もかも全て受止められるなら 誰を見ていられた? 涙に流れて使えなかった言葉を 空に浮かべていた いつもいつも 心はただここにあった」(光について)
「この手は今何が出来るんだっけ? 諦めた事など無かったが 繰り返す新しい言葉で また何か失ってくよ」(羽根)
当時音楽雑誌などでも「田中の詩は文学的だ。老成している。」と評価されていたが、たしかにこういう言葉を25歳かそこらで歌っていたのは驚きだ。「Lifetime」の曲などは最近の田中が歌っているのを見て「ようやく曲とバンドの年齢がフィットしてきたな」とすら思う。
GRAPEVINE - 光について (J-WAVE/Hello World studio live) - YouTube
だからこそ高校生からオッサンになった今でも聴いていられる。20年前の曲を今聴いても古く感じない。まあそれは俺の感性の問題かもしれないが。ある種の普遍性を持っているバンドだと思う。若いときに聴けば若いときなりに何か感じるものがあるし、年を取って聞き直してまた思うことがある。そういう魅力があるバンド。2002年にベースの西原誠がジストニア(中枢神経系の障害)でベースが弾けなくなり脱退するという出来事もあったがバンドとしては22年、ずっと続けてきてくれた。いちファンとしてとてもありがたいことだ。17歳からずっと聴き続けて、そのときどきどこか支えになってきてくれた曲たち。
「どうして誰もが急ぎ足で その次を欲しがるんだろう ここに居てはいけないかな 許されないことだろうか 矛盾はわかっている」
「ここで最後のメロディーが流れたら この醒めたふりも水の泡 ここで再会するような大団円はない けど他に展開はないのかい」
わかりやすい励ましがあるわけではないし、露骨に絶望を歌うわけでもない。ただそこで確かに鳴っている音楽。遠いところにぼんやりとある明かりのような音。最新のアルバム「ALL THE LIGHT」には「光」を歌った曲がある。「すべてのありふれた光」
「ありふれた光はいつも 溢れるけどあふれるだけの もう一度 きみにそれが注いだなら 届いたなら 扉を壊しても連れ出すのさ」
「ありふれた未来がまた 忘れるだけの 忘れるための それは違う 何も要らない 何も無くても 意味が無くても 特別なきみの声が 聞こえるのさ 届いたのさ きみの味方なら ここで待ってるよ」
www.youtube.com20年前に歌われた「光について」とは少しだけ違う「光」の歌。救いじゃなくても、救いにならなくてもまだ音が確かに鳴っているんだと。光はここを照らすかわからない。それでもあるのだと。GRAPEVINEが奏で、田中が歌っているんならもう少しやっていくかと思える。俺にとってはそういうバンドだ。それが希望じゃなくても、できればもう少し。