「ヒミズ」

俺は高校生のときに対人恐怖症になった。はっきりしたきっかけがあった訳ではないと思う。しいて言えば周りにはささいなことで人をバカにするヤツがたくさんいるんだと強く意識しすぎたせいだったろう。ささいなことで人をバカにするヤツなんて世の中にいくらでもいる訳だが十代の俺にはそれは堪え難く、人がおそろしくなりやがて人の目を見てしゃべることができなくなり赤面症になり人と話すと動悸と汗が止まらなくなった。そういう俺は当然同級生に笑いものにされ、さらに対人恐怖は強化された。電車に乗れば恐怖感に襲われる。パニック障害も併発した。それが長く続き行き着いた先はうつ病だ。

今はクスリのおかげで対人恐怖やパニック障害の症状は大分おさまった。専門学校を出て仕事に就くこともなんとかできた。しかしうつはいっこうに回復へ向かわない。むしろうつはひどくなり今や無職だ。そんな俺はもう40になろうとしている。

十代のときにはまだ、この苦しみはいつか終わるはずだというわずかな希望をもっていた。と同時にこのまま生きづらさを克服できずに死ぬのかもしれないとも思っていた。どうやら俺の人生は後者だった。

長く生きれば生きるほど、「お前の人生はうまくいかない」という解答でうめつくされていく。何度それに抗おうとしてもその大きな黒い固まりのような解答が俺を押しつぶす。

古谷実のマンガ「ヒミズ」に主人公住田にしか見えない化物が出てくる。化物は住田に何かをするわけではなく、ただ破滅へと向かっていく住田の人生を物陰で見ているだけだ。住田は普通の生活をのぞむ中学生だったが、ある日母に捨てられ別居していた父を撲殺してしまい「普通」とはほど遠い存在となってしまう。そんな自分を見つめる化物に住田は「笑ってんじゃねーよバケモノ」と吐き捨てる。住田に見えていた化物のような存在が俺の人生にもいる。具体的に見えているわけではないが。いつも誰かが「お前の人生はうまくいかない」とニヤつきながらささやいているような気がする。イヤなことが立て続けに起こると「笑ってんじゃねーよバケモノ」と叫びたくなる。あの物語における化物を単なる幻覚だと決めつけることは簡単だし大抵の人はそういう解釈に落ち着くだろう。住田の破滅願望の発露だと。住田は他に選択肢があるにも関わらず化物のせいにすることで自ら破滅していったのだと。

ヒミズ」の物語の最後、住田が化物と真正面に向き合い言葉をかわす。住田が「どうしてもダメなのか?」と化物に問う。化物は「決まってるんだ」と答える。そして住田は自死を選ぶ。俺は住田が見ていた化物をただの幻覚だと思わない。それは個人の人生に巣食う、あらがいようのない運命の凝縮なのだと思う。多くの人は人生が崩壊するほどの不幸になんぞ出会わない。そうして平穏な人生を終える。住田が見る化物を幻覚なんだと笑い飛ばせる。しかし違う、全員が平穏な人生を送れる保証はどこにもない。「ヒミズ」のなかで住田は言う「自分が宝くじに当たると思うか 自分に特別な才能があると思うか 親に捨てられると思うか」と。誰が望んで不幸になる?強烈な幸運に恵まれるも、強烈な不幸に遭遇するも全ては運次第、運命だ。「決まっていること」の具現が化物だっただけだ。それは誰の人生にもそれぞれ潜んでいる。そのかたちが違うだけだ。住田の「決まっていること」がそうだったように俺の「決まっていること」も化物のかたちをしている。そして選ぶ先は住田と同じかも知れない。そういうことだ。それはもうあらがいようもないことだ。

俺はもうひたすらに疲れた。生きるほどただただ疲れるばかりだ。生きていくすべを探るエネルギーが湧いてこない。この苦しみはいつか終わる、という言葉の意味は十代のころとは変わってしまった。

生きるほど、見たくもないものばかり見なければならない。

生きるほど、感じたくもないものばかり感じなければならない。

ハハハ

笑ってんじゃねーよバケモノ。