「ソフィアの夜明け」という映画

ソフィアの夜明け」(原題:EASTERN PLAYS)という映画が好きだ。

2009年に撮られたブルガリアの映画。

別に映画評じゃないし

誰かにおススメしたいというわけでもない。

面白さで言えば「宇宙人ポール」とかのが面白かったし

おススメするならそっちにする。

宇宙人ポール」面白いぞ観ろ。

 

ただ何だか印象に残っている映画なんだ。

 

ブルガリアの首都ソフィアで暮らすイツォ(フリスト・フリストフ)という男の話。

一応はアーティストだが木工技師で生計を立てている。

恋人とはよく喧嘩になる。ヤク中でアル中、精神科に通う日々。

ある日年の離れた弟のゲオルギが暴力事件を起こす。

その事件をきっかけにイツォはとあるトルコ人女性と出会う。

 

淡々とした映画。

で、この映画は主演のフリスト・フリストフの半ドキュメンタリーみたくなってる。

劇中のフリストフの恋人は本当の恋人。

売れないアーティストで木工技師というのも本当で

映画に出てくるアート作品も実際のフリストフの作品。

弟とトルコ人女性はフィクションだったかな。

 

陰鬱さと諦めの空気がひたすら続いていく映画なのは、

フリスト・フリストフが演技ではなく

そういうことから逃れられない日々を過ごしているからだと思う。

フリストフがヤク中なのも精神科通いなのも本当。

歩き方がやばい。

 

ソフィアの街並みの寂しさもすごい。

旧共産圏の不景気さとか、よくわからないがひどいものなのかもしれない。

そういえば琴欧洲も悲しい目をしていた。

そんな街でイツォの弟ゲオルギは右寄り排他主義の若者チームに入り、トルコ人を襲う。

イツォはべつにそれについて責めることはせず、一緒にタバコを吸うだけ。

 

トルコ人女性ウシュルとの会話の中に感じるものがあったイツォはトルコへ向かう。

そこには暗く冷たい場所から少しでも明るくあたたかい場所へ行くイメージがあった。

本当はトルコへ行ったあとのシーンも撮影予定だったのかもしれないが、

撮影終了間際にフリスト・フリストフは亡くなっている。

 

この映画が公開されて

フリスト・フリストフの名前が世に広がるまで彼が生きていたら、

彼の作品が評価されて売れるまで生きていたら、と思う。

いやしかし、アーティストとして売れてもフリストフは

何かが報われたとは思わないかもしれないなとも考える。

 

そういう上辺の部分じゃなくもっとどうしようもない苦しみと諦めを彼は抱えていたかもしれない。

生きる根本の消えることない悲しさ。

恋人から愛されても、周囲の評価を得ても、どうにもならない何か。

 

フリスト・フリストフが精神科医の前で独白するシーンがある。

脚本ではなくフリストフ本人の言葉らしい。

 

「俺は水晶みたいになりたい

明るい光を放ち すべての人を愛したいんだ

人々を抱きしめたい なのにまるでダメなんだよ」

 

苦しみや悲しさが報われることなどほとんどの人にはなく。

少しでも明るくあたたかい場所へ向かいたいが、きっとたどり着かずにおわる。

そんなことを思う。好きな映画なんだ。