「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」について

香川県議員の皆様の「時代を担う子どもたちの健やかな成長と県民が健全に暮らせる社会」の実現に寄与するという理念には深く賛同いたします。
その上でゲーム制作に携わるものの一員として意見をお送りさせていただきます。

まず、ネット・ゲーム依存症(ネット・ゲームにのめり込むあまり日常生活に支障をきたす状態)は予防、治療されるべき症状であることに異論はございません。ネット・ゲーム依存症についての研究はIT・ゲーム業界が各機関と積極的に協力し予防法と治療法の確立をめざすのがよいと考えます。
しかし現状、(子供に限らず)人間がネット・ゲーム依存症に陥るメカニズムは「全て解明されている」とは言えません。
当然対策、および治療法についても確実、有効な方策というのは未だ見つかっておりません。

素案では「ネット・ゲーム依存症が原因で起きる問題」に体力や学力低下睡眠障害やひきこもりなどが挙げられていますが、これらの問題が本当にネット・ゲーム依存症によるものだという明確な因果関係は証明されていません。
精神科医斎藤環氏は自身の臨床体験から「ゲームがひきこもりを誘発したケースに遭遇したことはない」と言っており、むしろテレビゲームを親子のコミュニケーションを復活させるツールとしての活用を提言しています。

インターネット依存の研究分野においては、インターネット依存の全ての患者が
別の精神医学的症状(情緒障害、不安障害等)を有していたとの報告があります。
もともと有していた別の精神疾患が原因となりインターネットの利用が過剰になった可能性があり、その場合インターネット依存とは言い切れません。

ゲーム依存症についても同じで何かほかの問題(学校での対人関係や家庭内の問題に起因するような障害)を抱えているがために、結果としてゲームにのめり込んでしまっているケースもあり得ます。
「ネット・ゲームを過剰に利用したから依存症になった」のか
「別の精神疾患があるためネット・ゲームにのめり込んでしまう」のか
因果関係がどちらであるのか今現在においてはっきりとは分かっていません。
それを今回の条例のようにまとめて全てを「ネット・ゲーム依存症」であると一括りにして、その依存症状さえ治療すればよいと決めてしまうと本来の要因や解決すべき問題を解決できない、見逃してしまう危険を有しています。

素案前文にネット・ゲーム依存について
”薬物依存と同様に抜け出すことが困難になる”との記述がありますが、
薬物とネット・ゲームは全く異なるものです。
薬物は人間の脳にどういった物質がどのように脳に作用して依存症になるのか研究され
統計を取ることで解明されていますが、ゲームはどのような仕組みでどのように人間に作用しどういう症状を引き起こすのか解明されていません。
全てのゲームに等しく依存性があるなら全てのゲームは同程度売れてるはずですが、
現実は売れているゲームと売れていないゲームがあります。
”薬物依存と同様に”という表現は誤解を与える表現であると思います。

条例素案の第18条2項には
”子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては、
1日当たりの利用時間が60分まで(学校等の休業日にあっては、90分まで)の時間を上限とすること
及びスマートフォン等の使用に当たっては、義務教育修了前の子どもについては午後9時までに、
それ以外の子どもについては午後10時までに使用をやめることを基準とする”
とあり、「コンピュータゲーム」について具体的な時間の規制基準が設定されています。
しかしネット・ゲームの利用においてどのくらいの時間利用すると依存症になるかという閾値は解明されておりません。
データを見ると分かりますが、平日のゲーム使用時間が多いからといって学校への遅刻や欠席が極端に増えたりもしていません。
平日のゲーム使用時間が多い人ほど学業や仕事に悪影響が出たというアンケートデータは出ていますが、  平日1時間未満しかゲームをしていない人でも1.4%は日々の生活の中で一番大切なのはゲームだと回答していることから、どこからを依存症とするかという断定はできません。  
一方「家族との関係の悪化」や「物をこわす行為をした」「家族に暴力をふるった」などの項目について平日のゲーム使用時間との因果関係は見られない、という調査結果が出ています。
(依存症対策全国センターによるゲーム障害についての調査より)

素案第11条に
” インターネットを利用して情報を閲覧(視聴を含む。)に供する事業
又はコンピュータゲームのソフトウエアの開発、製造、提供等の事業を行う者は、
その事業活動を行うに当たっては、県民のネット・ゲーム依存症の予防等に配慮するとともに、
県又は市町が実施する県民のネット・ゲーム依存症対策に協力するものとする。”
”子どもの福祉を阻害するおそれがあるものについて自主的な規制に努めること等により、
県民がネット・ゲーム依存症に陥らないために必要な対策を実施するものとする。”
と事業者の役割が定められています。
素案第18条にあるような「香川県在住の子どもに対してのみ、ゲームを使用できる時間を制限すること」を企業が実施するためには大幅なシステムの改修が必要となり、それにはそれなりのコストつまり費用が必要です。
ゲーム開発は多くの人や企業が時間をかけて制作していますので、複雑な改修は企業にかなり大きな負担がかかります。
対策にかかるコストをどこが担保するのか明示しないまま、「実施」のみを行政が事業者に求めることは非常にアンフェアです。

ゲーム制作側からすれば一番低コストで実施できる対策ははっきりとしています。
香川県ではゲームをできないようにフィルタリングする」「香川県でゲームを売らない」ことですが、それは子どもたちからゲームを遊ぶ自由を奪う行為ですので
ゲーム制作者が絶対に選択したくない方法でもあります。
素案第4条3項に
”子どもをネット・ゲーム依存症に陥らせないために屋外での運動、遊び等の
重要性に対する親子の理解を深め、健康及び体力づくりの推進に努める”
と「屋外での運動、遊び」がネット・ゲーム依存症を防止する正しい方策のように書いてあります。
しかし、どんなに言葉で説き伏せたところで屋外で遊ぶのが好きではない子どもがいます。
運動が苦手だから家でゲームや読書をする方が好きという子供もいます。
だからといってそういう子どもがネット・ゲーム依存症になる可能性が高いとはだれにも言い切れません。

「時代を担う子どもたちの健やかな成長」とは子どもが不必要な制約のない環境で様々な体験をし、自分の好きなことや得意な分野を見つけ、自分の進んでいく方向を自ら選択し、その中で大切な友人や仲間に出会い、人生を豊かにしていくことではないのでしょうか。
「好きなこと」や友達と共有できる「大切なこと」がスポーツである子もいる。
読書である子もいる。料理である子もいる。お笑いである子もいる。
漫画である子もいる。ゲームである子もいる。
どの子が正解でどの子が間違っているということはないはずです。

今回の「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」とは子どもの可能性を摘んでしまう条例であると思います。

ネット・ゲーム依存やゲーム障害という症状は確かに存在していますし、その対策と治療法をインターネット事業に関わる者やゲーム制作者を含め社会全体で考えていかなければならないことは間違いありません。
しかし現在はネット・ゲーム依存やゲーム障害の原因と症状の因果関係やメカニズムについて未解明の部分が非常に多いのも事実です。
(スポーツでもやり過ぎれば取り返しのつかないケガにつながりますし、どんな食べ物も取り過ぎれば体を壊しますが、どちらも条例で基準値を設けたりはしていません)
その状況においてゲームの利用時間までも規定してしまう条例を施行することは時期尚早です。
せめて、利用時間についての条文を除外することを希望します。

条例が施行されたとして何年か後にもし
「ネット・ゲーム依存症とネットやゲームを使用する時間には何の関係もありませんでした」
と証明された場合、誰も責任を取ることはできないでしょう。
意味も根拠もなく、もっとゲームを楽しみたかったはずの子どもたちの中に不満と抑圧だけが残ります。
そういったものが子どもたちに与える影響、ひいては社会全体にあたえる影響を想像すべきかと思います。

インターネットもゲームもツール、道具にすぎません。
どう使うかが問題なのでそれについて個々にまたは家庭ごと、
地域ごとに考えることは必要でその危険性について共有することももちろん重要です。
しかし根拠に乏しい条文で個々人、特に子どもやその親に負担を強いること、またインターネット事業に関わる者やゲーム制作者に規制を強いることには反対いたします。


----------------------------------------------------------
参考文献、サイト

小寺敦之氏紀要論文
「インターネット依存」研究の展開とその問題点

斎藤環氏インタビュー
https://www.cesa.or.jp/efforts/interview/researcher/saito01.html
https://www.cesa.or.jp/efforts/interview/researcher/saito02.html

依存症対策全国センター
ネット・ゲーム使用と生活習慣についてのアンケート 調査結果
https://www.ncasa-japan.jp/docs