グッバイ弱者

日本では「自力で生活できない貧しい人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多い、らしい。

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http://www.pewglobal.org/files/pdf/258.pdf

※95ページ

質問は「自力で生活できない貧しい人を援助するのは政府の責任だと思う?」

各国ごとの表は左から「完全にそう思う」「だいたいそう思う」「あんまり思わん」「全然思わん」「その他」

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「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%。先進国ダントツ、おめでとう。その下がエジプトとヨルダン。ともに32%。

 

アメリカでも28%。多民族、多人種のお国でこの割合。その他10%前後が多い。だいたいの国では9割くらいの人たちが「生活に困窮してるひとは政府とかみんなで助けたほうがええんちゃう」と思って暮らしてる。日本ではそういう考えの人は6割ちょっと。どうしたどうした。

 

オレは他の国に住んだことはないから比較対象はないが、単純にこの国に住んでいる肌感覚として世の中の考え方が「自己責任」に偏り過ぎだろとは思う。

 

過去イラクで日本人がテロに巻き込まれたときも、多数の非正規労働者が雇用を打ち切られたときも、「自己責任」が叫ばれた。

 

そうなのか?と思う。

そもそもテロリズムが批判されるべきだし、その引き金となったアメリカと中東の関係はすっとばしてOKなん。日本も政治的に上手く立ち回ればテロリストの標的に日本人は含まれなかったのでは。

そもそも非正規雇用を利用していい思いをしていたのは労働者ではなく経営者だろうがよ。真面目に勤めていて給料が上がっていた時代に比べて労働者の意識や能力下がったわけじゃないでしょ。

とかく「自己責任論」は末端で起きている事象にしか効力がなくて原因の検証や批判にまで行き着かないんじゃねえの。

 

話を今現在に持ってきてもあまり状況は変わらないようにも。

 

ホリエモンこと堀江貴文さん。オレはこの人の言ってることに共感できたことない。
堀江貴文さんの態度は一貫してる。
「これこれこういう新しい時代が来るし来ている。新しい時代やモノに適応できない無能や弱者は貧しくなって当然。そんな奴らは見捨てていい」
という力強いメッセージ。ザッツ自己責任。
そして「自分は無能でも弱者でもないし、この先も無能や弱者になることはありえない」という確固たる自信。ステキ。

 

 支持する人は割に多いみたい。ほうほう。支持している人たちはやっぱり「自分は有能」「自分もすぐに有能な人間になれる」「自分が無能になり下がることなどない」という自信に満ちているんだろう。でなければ暗に「無能は死ね」「弱者は死んで当然」というメッセージを発している人を支持できるはずもなく。

 

オレは生まれてこの方自分を有能だと思ったことないし、無能が服着て歩いているような存在だ。ワーキングプアもろ出しの30代。死んで当然側の人間。だもんで堀江さんの考えにはついていけないし、いく必要もない。

 

「弱者を助ける必要はない」と答えた人の割合が高い、となったとき「人の心」が荒んでいる結果だ!とは思わん。人の心なんて環境に左右されまくるものだと思う。ホリエモンみたいな主張が出てくるのも、それを支持する人が一定数いるのも社会の仕組みの結果として出てきたもんだろう多分。

 

長引く不況下、企業は人を使い潰すことでしか利益を維持できずない。上がらない給料、若者は家庭を持てず少子高齢化は進み、内需の低下で悪循環。既得権益層は逃げ切りをはかり、残るものはますます少ない。資本主義が一定の限界を迎えているのに次の見通しもアイデアもない閉塞した状況。

そういった仕組みに閉じ込められると人間はますます苛烈に「弱者」を虐げるようになる、という「飼育下のマウスにこういうストレスをかけたらこういう病気になりました」レベルの当然の反応なんだ。「自己責任論」が噴出するのはその病気の症状みてーなもんだ。

 

だってそうだろ?他の先進国に比べて「弱者を助ける必要はない」と考える人が数倍いるんだぜ。これが異常じゃなきゃ何が異常だっていうんだい?Hahaha

 

人間に知性っぽいものがあるならそういう人間の当然の反応が出ないように強かろうが弱かろうが、才能あるものだろうがないものだろうが、健康だろうが病気だろうが、美人だろうがブッサイクだろうが、なんか全員いい感じに生きていける仕組みを作らなきゃいけないんだろ。

「弱者は死ね」と主張する人が弱者になったとき救済できるようにしておかないと。それが知性とか理性だろ。

 

いやだからって何。
オレは政治家でもないし、大企業の社長でもないし、アルファブロガーでもない。世の中に影響を与えるような立場から最も遠いただの貧しい弱者。こういう社会を目指すべき!と主張したいわけでもない。そんな熱い思いなどない。人間が理想郷をつくろうとすると何故か地獄ができあがるのもわかっている。

 

この世はクソだと言ってるだけだ。知性も理性もありゃしねえ。実際のところこの国では弱者はますます困窮していくのみ。世の中は「グッバイ弱者」の声を強めるだろう。

俺か?俺に言っているのか?

じゃあこう言うしかない「グッバイこの世」。

グッバイ。

つめたい炎上

今日(12/15)になって、世界一のクリスマスツリーについての

ある記事が広まっている。

 

ツイッター上の印象なんで、

実際に多くの人に広まったのか本当のところわからないが。

 

なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一のクリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス/純丘曜彰 教授博士 - ライブドアニュース

 

読んで思ったことは少し乱暴だな、と。

冷静さを欠いている言葉選びというか。

なぜか被災地と東京(のマスコミ)を対立する図式に置いて

煽るような文章になっている。

 

そして、この記事が広まり過ぎると

世界一のクリスマスツリーをめぐる問題がぼやけるんじゃないかとも感じた。

 

 

私にしろ世界一のクリスマスツリー、西畠清順氏、

糸井重里氏、情熱大陸、と調べていくうちに

言いたいことが300個くらい頭の中を駆け巡った。

その中のほとんどはただの暴言だ。

 

それを叩きつけたい気持ちもあるが、それはするまいと思った。

ゲロ出ちゃう、くらいは言ったけど。

 

この問題の本質はそういう「苛烈な炎上」

で終わっていいところにはない、はずなんだ。

 

怒りにまかせて暴言を吐けば、本質がぼやける。

それはだたの悪態になってしまう。そうではない。

 

早い段階から声をあげている方の多くは

つとめて冷静に、事実に基づき批判されていた。

炎上といより、淡々とした怒り。

ただ暴言を吐いてこのイベントを貶せば

終わる問題ではないことを知っていたからこそだ。

 

周りを焚き付けて、たとえば西畠氏を痛い目に合わせて

それで済むならそんな簡単な話はないが違うんだ。

 

うまくは言えない。

 

ただ、人の傷を過去を、心の中の踏み込まれたくない部分を利用していいのか。

経済的に成功すれば人の痛みは見なくていいのか。

こういうことを私たちはまだ続けてしまうのか。

そういう世の中を子供たちはどう感じてしまうだろう。

 

もうやめるべきなんじゃないのか。そう思う。

大きなクリスマスツリーはただ立っている

神戸「世界一のクリスマスツリー」について少し調べて知って、

何ともいえないイヤな気分に襲われ、どうにもそれが離れず

これはどういうことなんだろうと思い、文章を書き

自分は何に対して嫌悪を感じているのか、整理しようとした。

 

ある程度整理できた気もしたのだが、それでも何かまだ引っかかる。

 

そう思っているとまた別の情報が流れてくる。

※※確実な情報ではありません※※

去年の秋、大阪のとある庭園に

「世界一のクリスマスツリー」を立てるイベントをやらないかと

【TBS情熱大陸のスタッフといっしょに】西畠氏が売り込みに来た、とのこと。

※※確実な情報ではありません※※

 

確実ではないものの庭園の公式ツイッターが書き込み、

その後何か不都合があったかのように消したことから信憑性は高いと思われる。

 

【TBS情熱大陸】は12月17日に番組20周年スペシャルとして

プラントハンター西畠清順氏を特集する。

 

これまでの西畠清順氏の言動から、

今回の「世界一のクリスマスツリープロジェクト」はもともと

長崎ハウステンボスで計画されていたものの実現が白紙になったこと。

その後神戸での実現にあたって「阪神淡路大震災への鎮魂」が後付けされたこと。

ここまでは明確だった。

 

「世界一のツリーを立てた人物になりたい」という私欲ありきで、

阪神淡路大震災への鎮魂」を利用した西畠清順氏という構図だったが、

どうやら

 「世界一のツリーを成功させる(予定の)西畠清順氏」を利用し、

感動物語的番組として成功させたい【TBS情熱大陸】の都合ありきで全ては動いていたようだ。

それもずっと前から。

他の候補地にも売り込みをしていたのだから、

「世界一のツリー」をどこに立てるかなんぞハナから関係なかった。

阪神淡路大震災への鎮魂」は後付けどころではない。

西畠清順氏の中にも【TBS情熱大陸】関係者の中にも

一ミリたりとも存在していない思いだったんだ。

 

「世界一のツリーを立てて名を売る」という目的を持った西畠清順氏。

彼を利用して番組を成功させ西畠清順氏をコンテンツ化することで稼ぎたいTBS。

こういう構図だったのだ。

糸井重里氏が不自然なまでに沈黙するのも、

なぜか急に豪華芸能人が応援に駆けつけるのも

テレビ局が裏で動いていたことで説明がついてしまう。

 

以前私は

「世界一のクリスマスツリーを見ていやな気分になったのは、

この一本のあすなろの木の後ろにどこまでもどうしようもない人間が

山ほどいることが見えるからだ。」

と書いた。

そのぼんやりと見えていた「どこまでもどうしようもない人間」が

具体的に見えてしまった。くっきりと、いやと言うほどに。

 

阪神淡路大震災への鎮魂」は西畠清順氏個人に利用されたのではなく

もっと多くの、もっと大きな欲望に利用されていたんだ。しかもものすごく軽い覚悟で。

 

西畠清順氏や糸井重里氏を利用して儲けようとしているTBSの本音は容易に想像できる。

「こんな程度で視聴者を騙せるだろう」「感動物語でひともうけ」

「神戸でやれるなら都合がいい鎮魂とでも言っておけ」

「西畠氏を御輿に乗せるだけのボロい商売」「せいぜい優良コンテンツに育ってくれ」

 

人の死や過去のつらい出来事や今現在抱えている苦しみ、

そういうものを利用して儲ける。

そういうことをテレビ局は繰り返しやってきた。今回もそれなんだ。

 

それでいてテレビ局は、大手ディアはやはりおそろしい。

巨額の金を動かすことができ、不都合な発言を封じ、

著名人を広告塔として立てることで大衆の印象も操作する。

大手メディアには大きな力があることは確かなんだ。その分悪意をもって動くけばひどい影響が出る。

 

それでも彼らにとっては利益さえ出れば正義なのだろう。

それが世の中の仕組みだと笑うだろう。

 

大きな悪意が大きな流れを作るとき、個々人のささやかな善意や抵抗は無力になってしまう。

 

「世界一のクリスマスツリー」に感じていた消しがたい嫌悪はそいうことかもしれない。

こんな大きな木を運ぶほどのエネルギーの後ろにぞっとするほどの悪意がある。

 

「大衆なんぞ簡単にコントロールできる」

「利益を上げ、自分たちが尊敬を集めるためなら何を利用しようが関係ない」

そういう人たちがツリーの陰で笑っている。

それでも、ツリーは海の風を受けながらただ立っている。

 

 

 

 

根っこ

世界一のクリスマスツリー、その後もますます酷いことになってるみたい。

 

ツリーの高さで世界一は難しいらしく、

オーナメントの数で世界一のギネス記録狙うとのこと。

このオーナメント(1枚500円)には願いを書きこむことになっていて、

熊本の被災地の子供たちにも配布して書いてもらったんだって。

世界一のツリーに夢届け 大江小児童が飾り作る - 熊本日日新聞

だけども、薄いプラスチック製のオーナメントは

海風に吹かれて地面に海に落ちているとさ。

 

現地に行った人の書きこみ見ると、

オープニングセレモニーの12月2日時点ですでに落ちていたらしい。

 

おそらく子供の字で

「せかいがじしんでこまらないようにしたいです。」

と書かれたオーナメントが落ちている写真を見たよ。

 

地元の神戸新聞がオーナメント脱落について記事を出したのが12月8日朝刊。

実行委員会がこのことについて謝罪と対応を発表したのが昨日12月8日の夜。

(再配布と補強しますとの内容のみ。すでに海へと落下したオーナメントには触れず。)

 

そのほかにも、そもそもアスナロの木ではなくヒノキアスナロなんじゃないかとか。

なぜか急にV6岡田准一さんが西畠清順さんとLINELIVEを配信し、

岡田さんファンの一部の人にも

「この世界一のクリスマスツリーって企画おかしくない?」と疑問を持たれたり。

安全対策もあやしかったり。

この辺りは他の方がきちんとまとめてくださってるのでそちらに譲る。

全部書いてたらゲロでちゃう。

 

もう一点だけ、特にひどいなと思ったことに触れる。

書きながらゲロ吐くかもしれん。

西畠清順さんと糸井重里さんの対談のなかで

吉本隆明さんの言葉を引用しつつ糸井さんが言ったこと。

 

「根っこの一番大事な部分は沈黙で

 実際にみんなが鑑賞する葉や花は言葉として見えるけど、

 根っこのところに黙っていて言葉にならない何か、

 思いみたいなものがないと言葉が死んでしまう、枯れてしまう」

「何かやるときに言葉になってないんだけど

 思いがあるってことはすごく大事なことで

 それがなくてしゃべりがうまい人はあんまり信用ができない。」

「根っこのない人の言葉は人に伝わらない。

 清順君がやっていることには両方の側面があって」

 

沈黙は一番大事、たしかにそのとおり。

「その人の思想や考えていることは、結局は行動に出る」

と言ったのは養老孟司さんだったか。

 

じゃあ今回の企画において

西畠清順さん、糸井重里さんの「沈黙」の部分には何があったのか。

 

長崎ハウステンボスでやるはずだった巨大ツリー企画がなしになり、

神戸で実現するとなった途端に阪神淡路大震災の鎮魂を掲げるのは後付ではないか?

企画に物語を付与して注目されたいだけでは?

という神戸市民からの問いに西畠清順さんは「沈黙」した。

(自分も被災者であるからその資格がある、と言ったがそれは問いへの答えになっていない)

また、被災地熊本の子供たちの願いが書かれた

オーナメントが脱落している問題についても何もコメントしていない。

 

糸井重里さんのこれまでの活動や仕事に共感し、

支持してきた人たちからは

今回の世界一のクリスマスツリープロジェクトのどこに共感し

なぜ支持するに至ったのか教えてほしい、との声があがった。

糸井さんのファンだからこそ納得できる説明がほしいと。

糸井重里さんはこれに対し「沈黙」している。

(西畠清順さんの言葉を読んでください、西畠清順さんに会ってみてくださいなど具体性のないことを言ったのみ)

 

傲岸不遜、厚顔無恥。それ以外の言葉が浮かばないウボオエェェッ!

 

ないじゃん、根っこ。 

 

今回の企画に疑問を投げかけている人たちはまさに

その「語らない、語られない部分」「沈黙」の中にこそ

欺瞞や嘘、誠実さから程遠い何かを感じるから言葉を発しているのだろうが。

 

あなたがたの「思想や考え」は

すでに沈黙と行動の中にはっきりすぎるほど出ているよ。

 

自分たちが何をしているか、

どれほどの人の気持ちを踏みにじっているかを認めることもできず。

まさに根っこのない行動を顧みることもできず。

あまつさえ、自分たちには根っこがある!と言って回る。

 

怒りを通り越し、憐みを感じる。

この二人だけがわるいわけでもないだろう。

 

「木がかわいそう」という批判にははじめ共感できなかったのだけど、

こんな人間のダメなところを凝縮したような企画のために伐られ、

折れかけた枝を包帯みたいな布でぐるぐる巻きにされて

鉄柱にムリヤリくくりつけられている美しく大きな木のこと、

ほんとうにかわいそうになってきたよ。

もう、こんなことやめよう。

「ソフィアの夜明け」という映画

ソフィアの夜明け」(原題:EASTERN PLAYS)という映画が好きだ。

2009年に撮られたブルガリアの映画。

別に映画評じゃないし

誰かにおススメしたいというわけでもない。

面白さで言えば「宇宙人ポール」とかのが面白かったし

おススメするならそっちにする。

宇宙人ポール」面白いぞ観ろ。

 

ただ何だか印象に残っている映画なんだ。

 

ブルガリアの首都ソフィアで暮らすイツォ(フリスト・フリストフ)という男の話。

一応はアーティストだが木工技師で生計を立てている。

恋人とはよく喧嘩になる。ヤク中でアル中、精神科に通う日々。

ある日年の離れた弟のゲオルギが暴力事件を起こす。

その事件をきっかけにイツォはとあるトルコ人女性と出会う。

 

淡々とした映画。

で、この映画は主演のフリスト・フリストフの半ドキュメンタリーみたくなってる。

劇中のフリストフの恋人は本当の恋人。

売れないアーティストで木工技師というのも本当で

映画に出てくるアート作品も実際のフリストフの作品。

弟とトルコ人女性はフィクションだったかな。

 

陰鬱さと諦めの空気がひたすら続いていく映画なのは、

フリスト・フリストフが演技ではなく

そういうことから逃れられない日々を過ごしているからだと思う。

フリストフがヤク中なのも精神科通いなのも本当。

歩き方がやばい。

 

ソフィアの街並みの寂しさもすごい。

旧共産圏の不景気さとか、よくわからないがひどいものなのかもしれない。

そういえば琴欧洲も悲しい目をしていた。

そんな街でイツォの弟ゲオルギは右寄り排他主義の若者チームに入り、トルコ人を襲う。

イツォはべつにそれについて責めることはせず、一緒にタバコを吸うだけ。

 

トルコ人女性ウシュルとの会話の中に感じるものがあったイツォはトルコへ向かう。

そこには暗く冷たい場所から少しでも明るくあたたかい場所へ行くイメージがあった。

本当はトルコへ行ったあとのシーンも撮影予定だったのかもしれないが、

撮影終了間際にフリスト・フリストフは亡くなっている。

 

この映画が公開されて

フリスト・フリストフの名前が世に広がるまで彼が生きていたら、

彼の作品が評価されて売れるまで生きていたら、と思う。

いやしかし、アーティストとして売れてもフリストフは

何かが報われたとは思わないかもしれないなとも考える。

 

そういう上辺の部分じゃなくもっとどうしようもない苦しみと諦めを彼は抱えていたかもしれない。

生きる根本の消えることない悲しさ。

恋人から愛されても、周囲の評価を得ても、どうにもならない何か。

 

フリスト・フリストフが精神科医の前で独白するシーンがある。

脚本ではなくフリストフ本人の言葉らしい。

 

「俺は水晶みたいになりたい

明るい光を放ち すべての人を愛したいんだ

人々を抱きしめたい なのにまるでダメなんだよ」

 

苦しみや悲しさが報われることなどほとんどの人にはなく。

少しでも明るくあたたかい場所へ向かいたいが、きっとたどり着かずにおわる。

そんなことを思う。好きな映画なんだ。

クリスマスツリーの話の話

神戸に世界一のクリスマスツリーてのが植樹されたんだってね。

今日(12月2日)点灯式で、槇原敬之さんが歌いに来たんだってさ。

ほぼ日でおなじみコピーライター糸井重里さんも携わってたり、

情熱大陸に出演決定してるプラントハンターってかっこいい肩書きの西畠清順さんが自らツリーをハントしてきたりステキなイベントさ。

 

一方で、何だか燃えてるイベントなんだってこれ。

炎上ですってよ奥様。いま流行りの。まあこわい。

 

軽く調べりゃわかるけど、いちおうまとめておく

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「神戸開港150周年記念と阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂を目的に、

富山県氷見市から樹齢150年のあすなろの木を神戸港メリケンパークに植樹。

高さ世界一のクリスマスツリーを復興と再生のシンボルとして

日本中、世界に発信しましょう。」という名目のもと始まったけど、

なんだかおかしい点がある。

 

そもそもクリスマスツリーといえばモミの木でなぜあすなろの木なのか。

西畠清順さん自ら語って(しまって)いる動画がYoutube

残っている。

www.youtube.com

動画で西畠さんが語っているの要点は以下

『もともと世界一のクリスマスツリーはハウステンボス長崎県)に頼まれて

3年前から探していたが見つからず、その一年後たまたま別の仕事で

知り合った氷見市役所の人からツリーにできそうな木があるとの連絡を受けた。

それを見に行くとあすなろの木。

世界一のクリスマスツリーが実現できると思ったがその後その話は無しになった。』

 

はい。

この時点でだいたいの人は気付くと思うんですけど、

 

長崎ハウステンボスのために目をつけておいたあすなろの木を神戸に持ってくるのはいいとして。

実現できなかった企画をその後別のタイミングで実現てのはよくある話。

 

「長崎に持っていくはずのツリーを神戸に」はあとから決まったことなのに、

阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】がメインテーマに据えられているのはおかしいんでない。

 

(長崎のために見つけた木が神戸開港150周年に合わせたように偶然樹齢150年なの?とかの話もあるが)

 

つまりは

「世界一のクリスマスツリーをプロデュースしたい」が先にある目的で

阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】は後付けなんじゃないのということ。

 

この疑念が阪神淡路大震災被災者の方々の反感を買った。

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今回のことに関して、色んな角度からの批判があったみたいなのだけど

(人間のエゴのために木を切るな、西畠というヤツの売名行為だろう、

キレイごと並べたイベントで金儲けか、などなど)

オレ個人的に一番まずいだろと思ったのが上記のこと。

もう一度書くと

 

阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】という事実被災した人たちにとって

非常にデリケートな部分を個人の目的のために利用したこと。

しかもそれがバレてしまったこと。

これに尽きる。

 

まず企画があったとき、そこに注目や共感してもらうため

何かしら物語をくっつけるというのはどこもやることよ。

「たまたまでかい木が見つかっただけどツリーとして一般的でないあすなろの木でした」

「落ちこぼれのあすなろの木が世界一のクリスマスツリーへ」

となる。さすが有名コピーライター様が関わってるだけのことはある。

くうねるあそぶ反吐が出る。

反吐が出るがそれはまだいい。ただのゲス商売なだけ。

 

だがよ、

「世界一のツリーを立てることで尊敬されたい」って私欲のために

【今もなお多くの人が重く抱えている阪神淡路大震災を利用】して注目を集めよう、

というのはゲス商売ですらない。

 

今回の炎上の本質的問題はやはり西畠清順さんの言動よ。

「世界一のツリー」ありきで

阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】は後付けなのでしょう?という指摘は

神戸市民からもすでにあがっている。

彼はそれには答えない。

 

自分がおぞましいことをしている自覚のない人はまっとうな批判にまっとうに答えない。

(あるいは心のどこかで気付いているからこそ敢えて答えないのかもしれない)

丁寧な批判は届かない。

「気持ち」とか「思い」の話に終始する。感情の話しかしない。

 

経緯がおかしい、理論的におかしい部分には触れない。

 

こんなに崇高な「気持ち」を込めています。わたしの「思い」を届けたいです。

わたしはこんなに「気持ち」「思い」を込めたのに届かなくて残念です。

こういった話に騙される人は一定数居る。

そういう人をいくらか集めて、

成功しました!分かってくれる人がこんなにたくさん!

「思い」が届きました!と言い張る。

最終的に、崇高な「気持ち」「思い」を受け取ることの出来ない人たちは

心が貧しくてかわいそうですねという結論にいたる。目に見えている。

 

そうやって道徳やこころの根本が欠落している人はどこにでもいる。

利用してはいけないものを平気で利用して今日も明日もたのしく生きるんだろう。

 

オレは西畠清順さんに対して怒っているわけではないんだ。

怒ったところでまったく無駄なのは知っている。

世界一のクリスマスツリーを見ていやな気分になったのは、

この一本のあすなろの木の後ろにどこまでもどうしようもない人間が

山ほどいることが見えるからだ。そういう話だ。