神戸に世界一のクリスマスツリーてのが植樹されたんだってね。
今日(12月2日)点灯式で、槇原敬之さんが歌いに来たんだってさ。
ほぼ日でおなじみコピーライター糸井重里さんも携わってたり、
情熱大陸に出演決定してるプラントハンターってかっこいい肩書きの西畠清順さんが自らツリーをハントしてきたりステキなイベントさ。
一方で、何だか燃えてるイベントなんだってこれ。
炎上ですってよ奥様。いま流行りの。まあこわい。
軽く調べりゃわかるけど、いちおうまとめておく
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「神戸開港150周年記念と阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂を目的に、
富山県氷見市から樹齢150年のあすなろの木を神戸港メリケンパークに植樹。
高さ世界一のクリスマスツリーを復興と再生のシンボルとして
日本中、世界に発信しましょう。」という名目のもと始まったけど、
なんだかおかしい点がある。
そもそもクリスマスツリーといえばモミの木でなぜあすなろの木なのか。
西畠清順さん自ら語って(しまって)いる動画がYoutubeに
残っている。
動画で西畠さんが語っているの要点は以下
『もともと世界一のクリスマスツリーはハウステンボス(長崎県)に頼まれて
3年前から探していたが見つからず、その一年後たまたま別の仕事で
知り合った氷見市役所の人からツリーにできそうな木があるとの連絡を受けた。
それを見に行くとあすなろの木。
世界一のクリスマスツリーが実現できると思ったがその後その話は無しになった。』
はい。
この時点でだいたいの人は気付くと思うんですけど、
長崎ハウステンボスのために目をつけておいたあすなろの木を神戸に持ってくるのはいいとして。
実現できなかった企画をその後別のタイミングで実現てのはよくある話。
「長崎に持っていくはずのツリーを神戸に」はあとから決まったことなのに、
【阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】がメインテーマに据えられているのはおかしいんでない。
(長崎のために見つけた木が神戸開港150周年に合わせたように偶然樹齢150年なの?とかの話もあるが)
つまりは
「世界一のクリスマスツリーをプロデュースしたい」が先にある目的で
【阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】は後付けなんじゃないのということ。
この疑念が阪神淡路大震災被災者の方々の反感を買った。
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今回のことに関して、色んな角度からの批判があったみたいなのだけど
(人間のエゴのために木を切るな、西畠というヤツの売名行為だろう、
キレイごと並べたイベントで金儲けか、などなど)
オレ個人的に一番まずいだろと思ったのが上記のこと。
もう一度書くと
【阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】という事実被災した人たちにとって
非常にデリケートな部分を個人の目的のために利用したこと。
しかもそれがバレてしまったこと。
これに尽きる。
まず企画があったとき、そこに注目や共感してもらうため
何かしら物語をくっつけるというのはどこもやることよ。
「たまたまでかい木が見つかっただけどツリーとして一般的でないあすなろの木でした」
が
「落ちこぼれのあすなろの木が世界一のクリスマスツリーへ」
となる。さすが有名コピーライター様が関わってるだけのことはある。
くうねるあそぶ反吐が出る。
反吐が出るがそれはまだいい。ただのゲス商売なだけ。
だがよ、
「世界一のツリーを立てることで尊敬されたい」って私欲のために
【今もなお多くの人が重く抱えている阪神淡路大震災を利用】して注目を集めよう、
というのはゲス商売ですらない。
今回の炎上の本質的問題はやはり西畠清順さんの言動よ。
「世界一のツリー」ありきで
【阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂】は後付けなのでしょう?という指摘は
神戸市民からもすでにあがっている。
彼はそれには答えない。
自分がおぞましいことをしている自覚のない人はまっとうな批判にまっとうに答えない。
(あるいは心のどこかで気付いているからこそ敢えて答えないのかもしれない)
丁寧な批判は届かない。
「気持ち」とか「思い」の話に終始する。感情の話しかしない。
経緯がおかしい、理論的におかしい部分には触れない。
こんなに崇高な「気持ち」を込めています。わたしの「思い」を届けたいです。
わたしはこんなに「気持ち」「思い」を込めたのに届かなくて残念です。
こういった話に騙される人は一定数居る。
そういう人をいくらか集めて、
成功しました!分かってくれる人がこんなにたくさん!
「思い」が届きました!と言い張る。
最終的に、崇高な「気持ち」「思い」を受け取ることの出来ない人たちは
心が貧しくてかわいそうですねという結論にいたる。目に見えている。
そうやって道徳やこころの根本が欠落している人はどこにでもいる。
利用してはいけないものを平気で利用して今日も明日もたのしく生きるんだろう。
オレは西畠清順さんに対して怒っているわけではないんだ。
怒ったところでまったく無駄なのは知っている。
世界一のクリスマスツリーを見ていやな気分になったのは、
この一本のあすなろの木の後ろにどこまでもどうしようもない人間が
山ほどいることが見えるからだ。そういう話だ。