さよなら2019年

今年もあと2週間を切った。誰もが言うように年を取るたびに時が過ぎるのが早くなる。そうしていつか終わる日に向かって不可逆的に進んでいる。

2019年、個人的には取り立てて振り返るべき出来事もない。世間一般では元号が変わったことが大きなニュースか、こんにちは令和。元号が変われど、世の中の何かが急によくなったりはしない、もちろん急に悪くなったりもしない。すべて淡々と人間はバカを続けるのは決まっているし、災害も飽きることなくやってくる。いい時代、悪い時代なんてものは本当はないとおれは思っている。どんな時代にもクソな部分とまだいくらかマシな部分が混在していて、その割合が少し違うだけだと。過去にいい時代があったなどというのも失われたもの、もしくは自分がよく知らない過去を美化してるだけだと。

年末、ということでMr.Childrenの「さよなら2001年」という曲をふと思い出した。2002年の元旦にリリースされたシングル「君が好き」のカップリング曲だ。そのタイトルのとおり2001年のことを歌っている。2001年というとアメリカで9.11同時多発テロが起きた年だ。おれ自身もリアルタイムで一連の出来事をテレビなどで見ていた。何度も世界貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が突っ込んでいく様子が流された。このテロをきっかけにアメリカは報復としてアフガニスタンを攻撃するに至り、さらには2003年イラクとの戦争に踏み切った。

「さよなら2001年」にこんな歌詞がある。

"毎月決まった日 振り込まれてくるサラリーのように 平和はもう僕らの前に当たり前に存在してくれないけど"

当時まだ若かったおれはこの歌詞に共感したし、同時多発テロからの数年間、目の前で戦争が始まり世の中がどんどんクソになっている、悪くなっているように感じていた。

しかしあとになって知る。アメリカは2001年より以前から中東で戦争、武力衝突を継続しており1991年湾岸戦争におけるイラクでの一般市民の死者数はもちろん、2001年以降のアフガニスタン侵攻、イラク戦争で犠牲となった人数はアメリカ同時多発テロ事件の比ではないこと。さらには同時多発テロで首謀者と名指しされたウサマ・ビン・ラディンについて。アメリカはビン・ラディンがかつてアフガニスタンソ連と戦っていた時期に、ビン・ラディンが設立したMAKという組織に資金援助を行っていたこと。何のことはない、おれが無知だっただけで世界はずっと前からクソだったのだ。アメリ同時多発テロのように「(日本人から見て)割と身近でわかりやすい事件」が起こり、それをテレビやマスコミがことさらに取り上げていたから勘違いしただけだった。この世界のどこかでは常に戦争が紛争が起こり、市民が眠る頭上をミサイルが飛び交い、親を殺された少年が兵士としてまた人を殺し、食べることも安全な水を飲むこともできない子供が死に、戦地に送り込まれた兵士たちは家族のもとに帰ることを夢見ながら死に、帰還した兵士たちは心を病み自ら命を絶ち、それら全てに目をつぶり政治家たちは「正義のための戦い」だと英雄を気取る。それがずっと続いているだけ、今も。


Louis Armstrong - What A Wonderful World (Lyrics)

2001年から18年が経った。最近の日本には「この国はどんどん悪い方へ向かっている」ようなムードが漂っている。しかしだ。本当にそうか?という疑問は常にある。確かに経済は停滞し、大きな災害が頻発している。それは悲しいことに違いない。一方で日本では他殺で死ぬ人はここ10数年でかなり減っている。2001年の他殺による死亡者数は732人、これが2018年では272人にまで減少している。もちろん単純な件数だけでなく、他殺率も減少傾向を続けている。昨今、SNSなどでの炎上だの揚げ足取りだのばかりが注目されて何か人間が凶暴になっているような印象を受けるが(おれ自身もそういう話題をよく取り上げているので言えた義理じゃないが)そうではないのかもしれない。

また違う視点をもってくれば「精神疾患の患者数」は増えている。殺人は減っているので少なくとも日本人が凶暴になっているわけではない。が他者に優しい社会が形成されているわけでもない。なんだかよく分からない。この訳の分からなさが人間の世界なんだろう、たぶん。クソもミソもごちゃついたままやっていくしかない。結局そうなってしまう。だからせめて、かろうじてできることは祈ることだったり願うことしかない。

"僕らの前にもう少しだけ まともな世界が降るように"

少し早いけどさよなら、さよなら2019年。