お腐れさま

興味も無い出来事に対して、さも興味があるように大げさに真剣な顔を取りつくろい、内容はなんにも無い言葉を並べ立てること。さして同情もしていないのに世間に向けて「私は可哀想な境遇にいる人たちに思いをはせてヤリキレナイ気持ちになっております」と言わんばかりの表情を貼付けて、やはり空っぽの言葉を羅列すること。面白くもないのに周囲が笑っているから「それのどこが面白いのか」と問うことをやめ、壊れたサルのおもちゃのように手を叩きバカみたいに笑うこと。本当はただカネと自分を讃える言葉が欲しいだけなのに「世のため人のために働いています」みたいな顔して、これからの社会のあり方なんぞを語ること。そういうことを繰り返していると何かがゆっくりと腐っていく。何が?

誰かに必要とされること、はこの社会においてとても重要なことのように語られる。いやしかし。いくらあなたが必要だと言われても、作り笑いや真剣なフリを続ければ確実に壊れてゆく。何が?

そうして腐りきった人たちがたのしそうに今日もメディアを、社会を、世の中のそこここを跋扈する。それについていける人なら一緒に踊ればたのしいのだろう。脳が空っぽでも。そういう循環で大抵のことは回っている。上辺の、その上澄みの泡だけを舐めて生きていることを謳歌できる。それでいいのかという疑問なんぞバカを見るだけだ。問わないとは才能だ。何の?

本質、本質などというものに何の価値もない。腹もふくれない。カネも儲からない。他人に尊敬もされない。面白くも何ともない。頭がおかしくなるだけでつまらない。そういう全部の解答を原初的な宗教はあらかじめ凡夫のために示しておいてくれた。本質はつまらないが、だからといって腹を肥やすことや儲けることや名声を求めることなんぞもっとつまらなく際限がないからやめておけと。2000年も前の話だ。それだけの時間があったにも関わらずどうだ、この世界の有様は。

すべて自らの腹を満たすためだけにわずかなパイを奪い合い殺し合うばかりの人々。俺はあいつより稼いでいる。あいつより偉い肩書きがある。あいつより尊敬を集めている。そんな争いばかりだ。それが本当に楽しいか、問うてはいけない。みんな夢中でやっているんだから水を差してはいけないのだ。裸の王様であろうがなんだろうが、「王様」という肩書きが欲しいのだ。本質?そんなもの肥だめにでも捨てておけ。足を引っ張り合い、互いの尊厳を踏みつけ合い、汚い言葉を浴びせ合い、上辺だけの価値に溺れる。2000年、1ミリたりとも前進しなかったんだぜ人類。月に行こうが、癌を克服しようが変わることなくずっと醜い最悪のケダモノ。それが俺たち。

本質を問うことには本当に意味が無い。本質?本質ってなんだ?それを理解すればパリピになれるのかい?なれねえよ。何でも無い景色が虹色に輝くのかい?輝かねえよ。全部は手遅れ。手遅れなんだと言ってまわる意味も無いくらい手遅れ。腐りきってボトリと落ちる。この世界に生きることとは地面に落ちるまでの時間のことでしかない。お疲れさま。お腐れさま。