うつ、精神疾患、救い

相変わらずうつ病心療内科に通う日々だ。認知行動療法について調べて実践してみてはどうかと、医者が言うのでいくらか調べてみた。(医者も本当は時間をかけて患者を診るほうがよいとは分かっているらしいのだが昨今心を病む人間が増えすぎて一人一人に時間をかけられないらしい)「自分でできる」タイプの書籍も買ってみた。買って読んでみてこれは自分には向かないというか、それができたら苦労はないという感想しか残らなかった。認知行動療法は自分の中の感情のクセや陥りがちな思考パターンを系統立てて分析し、徐々に悪い考え方とアクションを変えて悪循環から抜け出しましょうということだ。自己肯定感を育みましょうとかそのためにこうしましょうとか。現実を正しく認知しましょうとか。調べるほどにむしろ憂うつが深まっていくのを感じる。

当たり前と言えばそうなのだが、結局のところ「まっとうな人間になること」が正しい解答とされている。そこへどう向かっていくかの話な訳だ。しかしおれは根っからいかれてしまっていて、ひねくれきっている。社会生活をうまく送り、救われることがゴールですよと言われれば、裏を返せば社会生活をうまく送れないまま救われることなどないのですよ、と叩き付けられたような気になってしまう。

「世の中の役に立つ人間になりましょう、それが正解です」というのは社会全体の総意なのだ。ここはもうきっと変えられない。そもそもそれに対してそれは違うとか叫んだり絶望しても意味がないのだ。精神疾患は確固として役に立たないもの「間違ったもの」であり、それがそのままで救いに出会うことはこの社会において絶対にないのだ。京都アニメーションの事件の犯人は精神疾患もちだったらしい。彼がもし精神疾患が完治するという意味じゃなく、もう少し具体的なかたちで救われていたらどこかの時点で社会システム的にケアされていたら今回のような悲劇はなかったんじゃないか、と考える。と同時にそれが虚しい想像であることも知っている。

今回の事件については「何の生産性もない人間が、素晴らしい作品を生み出す人たちを殺した。それが許せない」というのがいわゆる一般的な感想だ。必要な人間、不必要な人間を誰かがそしておれを含めて皆が無意識的にまたは意識的に選別している。価値がある、無価値であるというその物差しから、おれたちは抜け出せない。

以前にも書いたがやまゆり園の連続殺傷事件での植松被告の主張(重度の障害者は安楽死させるべき等)に対して、そのカウンターとして「人の命の価値を他人が決めてはならない」というメッセージがあった。NHKのアナウンサーが言っていた。しかし日本社会を見回せばそんな耳障りのいいメッセージが嘘であったことがすぐにわかる。ひとつ例にあげれば障害者雇用率の水増しに社会の本音が隠れている。建前は「障害がある人でも働く機会は均等に与えられるべき」というものだが実際には「障害があるヤツなんて役に立たない、雇ってられるか」だった訳だ。じゃあ社会の取り組みとしてより罰則と監視を厳しくして障害者雇用率をあげれば「救われる」のか。そうではないだろう。そんなものは救いでもなんでもない。

「多様な生き方を認める」とかいう欺瞞が少しでも本当の意味で機能するためには、世の中には役に立たないものがある、生産性のない人がいる、だがそれでよしとするという方向にむかっていくことしかないのではないか。

そのためには人間の感情を排したシステムを充実させるしかないのだと思う。人間が感情で人間を救おうとすると、必ずそこには救うべき人間と救わなくていい人間を選別してしまうという間違いが起こる。救いとは無機質に行われなければ、本当に必要な人に届かないしこぼれてしまうのだ。ただそこに張られたままのネットのように落ちてきてしまった人を意味や感情とは無関係に受け止めるシステムこそが必要なんだ。落ちてくる人を見て選別してネットをどかしたりしてはいけないんだ。ネットの上で這いつくばっている人に向かって罵声を浴びせてはいけないんだ。

しかし、そんなシステムができるためには社会は今より少し理性を働かせなくちゃならない。それがきっとむずかしいんだろう。いやこんな事を書いておいて、虚しいばかりだ。そんなシステムの実現は夢物語だ。

たとえばおれ個人がこの先なんとか救われたとして、それでオーケーなのか。そうではないんだ。価値があるとかないとか、精神疾患があるとかないとか、生産性があるとかないとか、世の中の役に立つとか立たないかとか、金になるのかならないのか、そういうことのぜんぶが本当はどうでもいい、すべては一人ひとりの思い込みでしかない。でもそこからの出口がない。そのことだ。問題はつねにそれだけなんだ。ユートピアをつくれと言いたいわけではない。ぜんぶがない交ぜでオーケーだとされる社会なら世界ならいいなと、うすぼんやりと空想しているだけ。そういう幼稚な話だ。救われない。救いがない。まったく救いがないという締念の先にしか救いがない。救われない。