するとして

おれは社会に適合できないうつ病患者で、

今のところ治る見込みもない。

非生産的な人間だ。

職も金もなく失うものはとりたててない、

無敵の人だ。

 

犯罪者になってしまったり、

長い苦痛をともなう病を患ってしまうより前に

自分で決着をつけるのが一番いいに決まっている。

 

決まっているのにそれを実行できずにいるのは

単純に死ぬのがこわいからだ。

死ぬ際の痛みや失敗を考えると踏み切れない。

 

それに

ここのところ自死について考えていて、

自死するにあたって一番こわいのは

「まさに死ぬとなった瞬間にわいてくるであろう様々な感情」

だと思い至った。

 

たとえばロープに首をかけ体重を預ける瞬間。

この人生に対する憎悪とか哀しみとか虚しさとか、

いくつかの幸福な出来事についての未練とか、

犬や猫に会えなくなるさみしさとか、

そもそも生まれるべきでなかった自分への落胆とか、

残された人への申し訳なさとか、

そういう思いがいっきに押し寄せるはずで

それは肉体の痛みよりずっとずっと恐ろしい。

 

おれはそのどうしようもない感情に飲み込まれたくない。

それが死そのものよりもこわい。

そういう感情の濁流は生きているからこそわいてくるもので、

生きるということは死に直面しようとするときでさえ

どこまでも追いかけてきておれを苦しめる。

 

やはり生ほどこわいものはない。

 

今日はいい天気だし鼻歌まじりに死んでみるか、

くらいの軽さでこの世界からいなくなりたい。

ふわっと。

じゃあまたね、くらいのかんじで。