すべてのノリのすべて

 「すべてのノリについていけない」

おれはそのようにツイートしたことが数回ある。

この一言でおれの人生について、すべて説明がつく。

 

この世にはありとあらゆる場、集団にノリが存在していて

人は自分にフィットするノリをもつ場や集団に属する。

そしてその中でノッリノリになる。

 

学校にも、会社にも、地域にも、家庭にも、

趣味の集まりにも、政治的な団体にも、宗教団体にも、

それぞれ固有のノリがある。

またひとつの団体、集団の中に

いくつかのノリが共存していたりもする。

学校だとスクールカーストとか言われたり

社会人になっても陽キャ陰キャだと別れている。

 

まあともかく、普通の人はみんな何かしらのノリに

うまいこと乗っかることができる。

 

たとえば陽キャのノリについていける人は

大学じゃ仲間で騒ぐだけのサークルに入って、

飲みだライブだ、夏には友達みんなで

海でバーベキューだ。

恋愛にも積極的、流行りにも敏感、

ワンピース泣ける仲間絆最高、

インスタに映えるようなキラキラした

青春を生きるんだろう。

そうして培った自己肯定感を武器に

どこまでもノリノリで生きていくんだろう。

仲間の死さえ自分の人生のノリの一部。

最高の仲間にマジ感謝、お前の分まで夢叶え、

見守っていてくれよなマジアツい友情。

ノリノリである

 

一方そんなノリについていけず日陰を行く人もまた、

それなりに色んなノリを楽しんでいるもんだ。

アニメやマンガ文化を彩るイベントは目白押しだもの。

学校でオタクだなんだとキモがられても、

学校を離れオタクオミュニティに参加すれば

そこにはたくさんの同じ趣味の仲間たち。

気持ちわるい発言を責めるヤツはいないぜ。

仲間意識を強める定型文には事欠かないぜ。

尊い、しんどい、わかりみが深い。

最近のコスプレーヤーさんは可愛いし

オフパコという単語に過剰反応。

ノリノリである

 

陽キャ陰キャだに関わらず意地の悪い人が集まれば

ノリでいじめをやってみちゃう。

ノリで悪口を浴びせ、ノリで人の物をこわし、

ノリで恐喝し、ノリで自殺に追い込む。

その顔はやはりノリノリである

 

新興宗教にどっぷりの人。

言うまでもなくノリノリである

 

真っ当な人間はノリについていけるんだろうと思う。

ノリノリなのがまともな人生。

意識するしないに関わらず、

ノリノリで生きるに値する楽しみを見いだす。

これがまともである人間の人生だ。

 

ひるがえって考える。

おれ自身はこの世に溢れるノリのどれにもついていけなかった。

子どもの時から今現在まであらゆるノリについていけない。

ノリが発生するとどうしたらいいかわからなくなる。

ネットでよく見かける文章に

「友人3人で集まると自分以外の2人が楽しく話していて

自分はいつも1人置いてけぼり」というのがある。

おれは人生常にこの「置いてけぼりの1人」であった。

あげく精神を病んだ。うつ病だ。

社会の大きなノリに乗り切れなかった者の末路。

昨今はこうした「うつ」発達障害」を個性だ何だとノリに変えて

世間にうって出るという新種のノリも出現してきた。

この手のノリには心底うんざりする。

 

ノリきれなかった人がノリきれなかった経験を

深刻に、ときにおもしろおかしく語ることで

新しいノリに変換しようだなんて、もう何が何だかわからん。

でもそうまでしてでもノリノリになることは大事なんだろう。

ノリとはつまり社会とのつながりそのものだからだ。

 

すべてのノリについていけなかった人、

というは別におれだけではなく。

ガチで引きこもっている人とか、

他者との接触が極端に少ない人はそうなんだろう。

そして、いわゆる「無敵の人」も。

加藤智大も小島一朗もやはりありとあらゆるノリに

ついていけなかったんだろうなと。

もし何か彼らなりにノリノリになれるものや場所があったら

違っていたのかもしれない。

あるいはすべてのノリについていけず、

唯一自分なりのノリノリを追い求め

ああいう結果になったのかもしれない。

 

世間のノリからはずれてしまった人がそれでもいいじゃないかとなる逃げ場が

どこかにあればいいなと思うが、ノリというのは恐ろしい魔物のようなもので、

逃げた先にもまた新たに生まれてしまうんだ。こわ。

 

そうなればやっぱり刑務所みたいに淡々としている場に憧れてしまう。

作業はあるが、たとえば上司に人間的成長を迫られたり、仲間意識を強制されない。

それで最低限の食と休息は保証されている。

(休息については普通に勤めるよりちゃんとしてる)

こういう静謐な日々を暮らしたい人は実は多いんじゃないのか。

少なくともおれは憧れる。

 

だからといって他人をアレしてまで刑務所に行こうとまではそんなに考えない。

自分はノリについていけない人間であることをちゃんと自覚しておき、

あとはいかにノリと無縁の静かな暮らしをするのか考えたいだけだ。

 

30数年生きて、何とか世間のノリについていこうとがんばってはみたが、

もはや最近は抗うつ薬もきかなくなってきてしまった。限界なんだ。

ムリなものはムリだ。

 

答えはすでにあって

「十分な金を稼ぎ、すべての人々から遠ざかりたい。」

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

圧倒的な正解だ。

これがクッソむずかしくてやってらんねえなクソが。

刑務所か、縄か。どちらもおれを呼んでやがる。