誰が

誰がこんなに散らかした

分かりきったつぶやき

 

誰がこんなに踏みつぶした

知っているさけび

 

少しピッチの早い曲調

違和感のある転調

 

まだ気温は低く

忘れるためのあれやこれやが

さらに呼吸のじゃまをする

 

誰がこんなに

 

きしむ玄関 割れたブロック

少しの揺れ 誰かこないか

 

これでは見つかるはずもなく

名前を書き忘れてしまったな

 

あなたは穏やかにしていますか

知らないつぶやき

 

誰か

 

誰がこんなに散らかした

 

 

うその

作り話のような

嘘のような

美しい関係性がどこかにあって

 

雨に濡れても

ただ並んで歩いていたとしたら

 

嘘のような

作り話のような

やさしさがどこかにあって

 

どんな片隅にも

うたが響いたとしたら

 

その目を合わせて

電子の記憶のどこか

膨張のさきのどこか

手にするコップの気泡の中にさえ

丸めてすてた紙の切れ端にさえ

 

呼吸を聞く

 

きしむ世界の片隅の

泥にまみれた羽根の

 

知りたくもないことが

今や

それがあなたの一部

 

ヘラヘラとした連中が酒を忘れたら

足を引きずることさえ

笑うなら

 

些細な名前に何か大層なことを思った

やがて

 

君は遠くへ行く

ぼくはここを動けずにいる

 

君はそれを気にしない

ぼくはそれにほっとしている

 

あの歌詞を君はずっと間違えて覚えていた

それでも

 

君は誰のことも待たない

ぼくはまだ立ち尽くしている

 

 

 

 

アルコール、薬物、あるいは

ピエール瀧氏がコカインの使用で逮捕された。今年捕まったからウルトラの瀧氏が逮捕、のほうが正しいのか。私は別にピエール瀧氏や電気グルーヴのファンではないが、ピエール瀧氏には視聴者として何とはなしに好感をもっていた。「この人はいい立ち位置にいるんだろうな」と勝手に思っていた。電気グルーヴでは何をしているかよく分からないがどうやら欠かせない存在らしいとはよく聞くし、何か独特の存在感がありそれでいて人に不快感を与えない。飄々としていて、力が抜けていて役者としても重宝がられていたんじゃないかと思う。陳腐な言い方をすればセンスのいいおっさんといった印象で、氏の雰囲気や立ち位置に憧れるおっさんも多くいたんじゃなかろうか。

しかし逮捕である。法に触れてはすべてはアウトだ。リアルアウトレイジではどうしようもない。バカヤローコノヤロー。法律は法律。

一方で思うところもある。ピエール瀧氏はコカインをやりながらもある程度まともな生活と仕事をこなしてきたのだと。コカインを20代から始めたらしいが、それでも51歳になるまでバランスをとってきたのだ。いやそれはたまたまで、彼の内臓や脳がどうなっているかは知らない。ボロボロなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。とにもかくにもコカインと付き合いながら社会生活をそれなりにうまくこなし脱落者の多い芸能界でマルチに活躍するくらいにはまともだったのだ。おおよそ30年くらい。

この事実に呆然とするわけだ、おい。いわゆる普通の社会人、真面目に勉強し学校に通い就職活動をがんばってそれなりの職に就く人々。薬物とは無縁の人々。そんな「普通の社会人」が30年まともにやっていけているのか。摩耗して、だましだましだとしても乗り切っていけてるのか。

 

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過重な労働によって、心身の健康を著しく損なう人はあとを断たない。何とか持ちこたえている人もアルコールに依存したり、心療内科で処方される合法なクスリを貪り食っている。

かく言うオレもかつての仕事のストレスで鬱病になり、合法なクスリとアルコールにすがって生きている。はっきり言ってオレはピエール瀧氏より長生きできないだろう。体はもうボロボロで50歳を前にほぼ確実に死を迎える。あるいは鬱状態が長いので自死を選択する可能性も非常に高い。いやオレの話はどうでもいいんだが、オレはただ「違法コカイン漬けの人物なら元気にやっていけるが、薬物をやらないまっとうな人間は気力を奪われ自尊心をボロボロにされせいぜい合法のクスリやアルコール漬けになるしかない楽しい社会」を憂いているだけだ。うんこちんこまんこ。

改善策はクスリに頼らなくても充足できる社会だろう。誰もが過重労働を強いられることはなく、最低限の生活が保証される社会。だがそれが実現されるイメージが一ミリたりとも湧かない。人間とは不思議なもんで「経営者、労働者」という概念はここ200年弱くらいで生まれたものでしかないのに、そこに誰もが属さなければならないと思い込んでいる。もうここから抜け出すことはしばらくできない。人間は手前の常識を自力で脱線するのがとても苦手な生き物だ。手塚マンガのようにマザーコンピューターが全人類を導くようになり「無用な労働をやめなさい」とでも命令してくれない限りなくならない。さらには人間は常に自分が他人より上だと証明したい欲望にかられている。他者を見下したい、虐げたい貶したい。その欲望と資本主義社会はじつにいい具合にマッチしたのだろう。労働者にとって経営者の命令は絶対。王様ゲームで王様の言うことは絶対。こんなに気持ちの良いシステムを手放せるほど人間は賢くない。

今日も明日も嗜虐心にかられた誰かが誰かの心身を破壊しムリヤリ金を生み出す、そうして成り立っていく世界にオレたちは放り込まれている。優しい人たちは早々に死んでしまったよ。

だから必要なのだ。コカインが、あるいは大麻覚醒剤がヘロインがLSDがデソモルヒネが、アルコールがデパスコンサータジェイゾロフトワイパックスレスリンテトラミドパキシルリフレックスがレスタスが。

必要なんだよ。合法か違法か?それは本質的にたいした問題じゃないぜ。シラフじゃ生きていけない世界をどうするって言ってるんだよ、おい!

さあ隣人を愛せ。愛を歌え。手を挙げろ。プチョヘンザ。すべての人々にキスを。何?うまくいかないって?

よしわかった。嘆くことにしよう。オレは知ってるんだ2000年前から知ってるんだできることはどこまでも嘆くことしかないんだ。やりようないぜ。そうだお前らはソフィアの夜明けっていう映画を観たかい?その主人公を演じたフリスト・フリストフは役作りではなく本当にヤク中でアーティストでどうしようもなく精神を病んでいた。彼が映画のなかで独白するセリフは脚本ではなく彼自身の言葉だ。彼の言葉にはこの、今の世界の本質的な嘆きがすべて含まれている。

「俺は水晶みたいになりたい 明るい光を放ち すべての人を愛したいんだ 人々を抱き締めたい なのにまるでダメなんだよ」

 

 

 

キラキラ、記憶

それは正しい記録にのこりました

それは人々の記憶にのこりました

どちらが立派ですか?

 

 

どちらもいずれは消えてしまう足跡にすぎません

 

それが正解ですか

 

あなたが感じた切なさも

優しい気分も 

その憎悪も

誰かを 

自分を差し出して犠牲にしてでも

幸福にしたいという思いも

 

どこかに残っていて

光を放っていてほしいと

いやはや

誰かを呪う黒い残滓であってほしいと

 

キラキラキラ…

 

土の中に埋もれた

腐った切り株の根元に埋もれた

 

砂を噛むカムトゥギャザー

 

キラキラキラ…

 

大切なひとの脇腹から血と粘液が流れても

平気な顔はできるのかな?

50mlまでなら許せるとかいう基準でもあるのかな?

 

電源をつけたままのアンプが

弾いていない音を響かせて

 

 

夏を待つも何も

思い出せない

言葉は思い出せたとしても

その気分はどこかへ行ってしまった

 

つま先の曲がる角度

酔いにまかせた夜風

 

すべてが報われるなら

報われるなら

 

バーコードで支払う大げさな金額

それで生きながらえるなら

 

わざとではないよ

叩き付けるグラス

 

キラキラキラ…

 

あとはもう棒読みで

カビを落とし

記憶を無くし

 

自分には意味が分かるうすら笑いを

実は誰にも分からない笑い声を

 

 

 

 

リ・ピート

とくに涙もなく 角の丸い写真を見ていた

隣に人は 来ている来ているとしきりに言った

半分くらいは 信じてみた

 

明るい歌が変だなんて 思わない

リピートリピートリピー

 

すっかり乾いたのか

引っぱり回すのにつかれるのだ

 

いつもとちがう洗剤の匂いに 

線香の香りがまざる

リピートリピートリピー

 

久しぶりに飲むビールは麦の味が濃い

もうあの子も小学生だろう

 

目の前をうごく春がきらいだ

そう言って こびりついた汚れを引っ掻く

 

例えば何か おいしいお菓子を

ふたり並んで食べよう そうすればそれならば

リピートリピートリピー

 

抱かれるはずのない人の腕に抱かれたようなそんな夢

あと何度洗いながす

 

爪を痛めてしまってそれから

逃げるようにして

 

こびりついた汚れを

立体的なレントゲンを

つぶれてしまったおにぎりを

 

とくに涙もなく 四角い画面を見ていた

これから何を説明する

説明することなんて本当はないんだ すまないね

 

リピートリピートリピー

ふたがあく

ふたがあく

望みもしないのに その中身を

見なくちゃならない

 

ふたがあく

わかっていたのに その中身を

手に取らなくちゃならない

 

電子音がひびく なかったことにならないか

人がひとりいなくなるたびに

少しくらいの きせきをのこせたらよかったのに

 

もっと せめて

もう少し高いところへ

もっと いっそ

低いところへ

静かにしているように言われて

どうしてしまおう

 

錆ついてしまったのをしっているか

 

今日も老人は杖をついて歩く

 

ふたがあく

じゃあやさしくなれるのかい

我先にとうばうのかい

祈りのあしあと

世界は いつも同時進行で

今日という日は

誰かにとっては 

忘れがたい つらく悲しい日であり

また誰かにとっては 生涯忘れられない

喜びに満ちた日でもあるはずで

そういう世界に みんな 

みんな立ち尽くしている

わずかでも この身をひきずって

ひかりを

体温を

ああ

すこしでも 歩けるなら

 

どこへ向かうわけでもなく

目的なんて 忘れてしまったころ

いつか どこかで 誰かが あなたが 

ふと 振り向いたら

たくさんのあしあとが きっと

 

ならんだ あしあとでなくても

まっすぐな あしあとでなくても

それは

重力と かなしみと よろこびと 

 

ぜんぶの あしあとが

見えてしまって

わたしたちは 祈ることしかできない

願いは それはもう遠く

遠く 光る 六等星のよう

 

ただ いま この目前の地面を踏む

おろかでも

どうか

どうか とつぶやきながら